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【加古爺のつれづれ一行詩集 第24回】

2022-12-19 22:41:28 | 日記

今年はどういう年の回りなのでしょうか?10月15日(土)に母が99歳で亡くなったばかりというのに、12月12日

(月)には、妻の母(義母)が93歳で亡くなりました。二人とも、年齢からすれば大往生と言ってもいいのですが、こう

も立て続けとなると、さすがに寂寞に堪えない気がして、心を冷たい風が吹き過ぎる感じがします。

母の「四十九日法要」は終わりましたが、今後、来年の1月22日(日)が母の「百か日法要」、1月29日(日)が義母

の「四十九日法要」、さらに、3月21日(火)が義母の「百か日法要」と、種々の法要が続くことになります。その間、

七日毎に義母の「尽七法要」が加わります。

それにしても、「人の死」というものは本当に空しく、あっけないものです。通夜式、告別式(葬儀)を経て、ほんの一時

間半ほど後には「白骨の身」になってしまうのですから・・・。

「拾骨式」の際、遺骨を骨壷に収めながら、人の世の無常、はかなさを痛感しました。

  〇 人の世の 夢のやうなる 住処(すみか)にて 生きとし生ける 九十(くそじ)あまりを

  〇 紅顔(こうがん)の 在りし日思ひ 骨(こつ)拾う 迷わず行(ゆ)けよ 仏の御前(みまえ)

  〇 我も又 夢より覚めて 帰りなむ 仏のおわす いや彼の御国(かのみくに)

不幸が続いた訳からではありませんが、今回紹介する作品は「阿弥陀如来坐像(八寸)」です。2018年2月末に拝刀を

開始し、2019年六月末に完成しました。

第16回にも書きましたが、この作品は亡き愛娘の弔いのために仕上げたものです。 

『中でも、1990年7月7日に4歳7か月で亡くなった娘の死は、私にとって人生観を変えてしまうほどの大きな、大き

なショックでした。今年の7月に三十三回忌を済ませましたが、幾ら年月が過ぎようとも、親としての気持ちが癒されるこ

とはありません。暫く、私の趣味である仏像彫刻のお話をブログに載せたいと思っていますが、私をこの趣味に導いたきっ

かけは、勿論、この娘の死にほかなりません。娘の弔いのため、いつかは仏像を彫ってやりたい。こんな思いを実現できた

のは現役を退いてからでした。』(第16回より再掲)

【「阿弥陀如来座像(八寸)」正面荒彫り】

【「阿弥陀如来座像(八寸)」背面荒彫り】

角材の余分な部分を鋸や鑿を使って取り除き、全体像を切り出してから、大まかな袈裟衣の位置を決めた段階です。完成ま

でにはまだまだ程遠いのですが、ここに至るまでにも相当な時間を費やしました。

この後、制作工程は本体の仕上げ彫り(御顔彫り、頭部の螺髪彫り、袈裟衣の仕上げ)、台座の制作、光背の制作と続きま

すが、その経過を、順を追って紹介していきたいと思っています。

何しろ、完成までに1年4か月を要したわけですから、その工程は複雑且つ困難で、試行錯誤の連続でした。

【参考】

▢ 阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つである。 梵名はアミターバ(अमिताभ, Amitābha)あるいは ア

ミターユス (अमितायुस्, Amitāyus)といい、それを阿弥陀と音写する。 阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏

ともいう。梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意

味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。阿弥陀如来は、命あるものすべてを救う四十八願(しじゅうはちが

ん)という誓いを立て、「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々の臨終には西方浄土から迎えに来て、必ず極楽浄土へ往生

させてくれるとされる。

【平等院鳳凰堂本尊/国宝 木造阿弥陀如来坐像】

写真の平等院鳳凰堂本尊「木造阿弥陀如来坐像」は、日本の仏像作家を代表する仏師「定朝(じょうちょう)」によって平

安時代後期、天喜元年(1053)に造られたものです。

愚作は足元にも及びませんが、次回から少しずつ紹介させていただきます。

訪問感謝。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

                                     それではまた次回に!      合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第23回】

2022-12-13 22:32:17 | 日記

昨日は午後から畑に出て、スナックエンドウの囲いと白菜の霜よけに、外葉の巻き付け作業を行いました。今日はブログに

勤しむことにします。

さて、今回は「釈迦誕生仏立像(六寸)」を紹介します。2017年八月に拝刀を開始し、2018年二月に出来上がりま

した。その間、六か月を要したことになります。

下の写真は国宝の【銅造誕生釈迦仏立像/東大寺蔵】ですが、決して私の愚作品とは比較しないで下さい。何しろこちらは

国宝。別格ですから・・・。【笑】

【国宝 誕生釈迦仏立像及び灌仏盤/銅造鍍金 8世紀中頃 像高47.5cm 灌仏盤径89.2cm/奈良 東大寺 蔵】

(大仏開眼の時の東大寺灌仏会のために造られたと考えられ、童子をかたどった天平彫刻としても貴重な作品)

釈迦は誕生した直後に立ち上がって七歩歩き、右手で天を、左手で大地を指差したまま「天上天下唯我独尊(てんじょうて

んげゆいがどくそん)」と説いたといいます。「この世界に生きる人々は一人ひとり誰もが尊いものである」という意味で

す。言うまでもなく、これは伝説として語り継がれている有名なエピソードですが、孔子・ソクラテス・カントと共に四聖

としてあがめられ、その存在が神格化されている故の逸話だといえると思います。

釈迦が誕生したといわれる四月八日は、現在も「花祭り」(灌仏会/かんぶつえ、仏生会/ぶっしょうえ、降誕会/ごうた

んえ、浴仏会/よくぶつえ ともいわれる)としてお祝いが行われます。

                       【花祭り】

「花祭り」では法要に加えて、花で飾りつけた小さなお堂「花御堂(はなみどう)」が作られ、中に「誕生仏」と呼ばれる

仏像が安置されます。「誕生仏」に柄杓ですくった甘茶をかけますが、これは、お釈迦様の誕生時に竜が天から降りて香水

(こうずい=清めのためにお香などを混ぜた水)を注ぎ、洗い清めたという言い伝えにちなんでいるそうです。また、「花

祭り」に甘茶をいただくと無病息災で過ごせるともいわれています。

 

「釈迦誕生仏立像」では、両腕の制作は勿論ですが、何と言っても、頭部の「螺髪(らほつ)」制作が一番のキーワードに

になります。かなり細かい作業になりますので油断をすると螺髪を削り取ってしまうことになりかねません(実際に三か所

を削り取ってしまい、木工ボンドで修復しました)【笑】。正に集中力が求められる作業です。

「螺髪」の話をもう少し続けます。釈迦には、「三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじゅうしゅこう(ごう))」と

呼ばれる多くの優れた特徴があったと言われています。見てすぐに分かる外形的な特徴「三十二相」を詳述したものが「八

十種好」であり、微細な特徴を表現すると共に、宗教的な理想を示しているとされます。この「三十二相」の中の第十二相

と第十三相とに、釈迦の「体毛」についての特徴が記述されており、

  第十二 毛上向相(もうじょうこうそう)

    体の全ての毛の先端が全て上になびき、右に巻いて、しかも紺青色を呈し柔軟である。螺髪はこれを表す。

  第十三 一一孔一毛生相(いちいちくいちもうしょうそう)

    身体の毛穴には全て一毛を生じ、その毛孔から微妙の香気を出し、毛の色は青瑠璃色である。

とあります。

                      【鎌倉大仏の頭部/螺髪】

つまり、「螺髪」とは螺(巻貝)状になっている頭髪のことで、仏の髪型の一つです。前述した「三十二相」の中の第十二

相「毛上向相(もうじょうこうそう)」にあるように、仏像の制作では右巻きのイボ状に作られます。

また、髪型が「螺髪」で表現されるのは、「悟りを開いた仏」で「如来像」に限られますが、「螺髪」の数は特に定まって

いないようです。因みに、直径や高さはそれぞれ異なりますが、東大寺大仏は492個、飛鳥大仏は700個、鎌倉大仏は

656個だそうです。

今回の作品の螺髪数は不明(数えるまでもありません。螺髪の個数は定まっていないのですから)。加えて、螺髪はイボ状

にするのが精一杯で、螺(巻貝)状や右巻きの表現には至っていません(今回の作品では、一つ一つの螺髪が小さく、これ

以上の細かな表現は無理です。しかも、ただでさえ、三か所も削り取ってしまったほどの腕前ですから)【笑】。

  〇 灌仏会(かんぶつえ) 仏の前で  手を合わす 幼き娘の 写真在りけり

  〇 花祭り 誕生仏に 甘茶かけ 無邪気にはしゃぐ 童子(わらべ)らのあり

  

                               訪問感謝。ではまた次回に。         合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第22回】

2022-12-03 11:04:44 | 日記

今朝は本当に寒かったですね。布団から出るのに、かなりの勇気が必要でした。曇っていた空に、やっと日が差し始めたと思った

ら、また薄曇りに・・・。今日はこんな天気が続くのでしょう。風がないだけ、ましですかね(笑)。

さて、今回は、第20回の「白衣観音(びゃくえかんのん)立像」(六寸)に引き続き、「聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)

立像」(七寸)を紹介させていただきます。2017年一月に拝刀を開始し、同年八月に拝刀を完了したものです。

写真右下の「白衣観音立像」と比べ、先ず、大きさが六寸から七寸へと一回り大きくなりました。纏っている衣の襞や頭部の彫り、

手に持っている蓮も複雑化します。そして、何よりも大きな違いは「腕」と「手」が現れたことです。

「腕」の制作では、全体の形は勿論ですが、体とのバランスや肘・手首の位置、指の長さなど、多くの課題があって、なかなかに

難しいものでした(下がっている右手の指の長さが短く、手全体の形もいびつ)。

ところで、「観音」とは「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」の略ですが、時代を経るにしたがって、十一面観音や千手観音、馬

頭観音、如意輪観音など(三十三身)多くの姿に変化しているため、今回のような作品は一番もとの観音という意味で、特に「聖

観音」「正観音」と呼ばれます。

また、観音菩薩の「観音」は「音を観る」と書きますが、仏教では「観る=聞く」、併せて、「音」には「人々の苦しみ」という

意味が込められており、「観音菩薩」とは、人々の苦しみの声を聞き、救いを施す菩薩ということになります。そのため、「観音

菩薩」は、自分の心を自在にコントロールし、世間のありのままを観察できる 十通りの力(① 寿自在 ② 心自在 ③ 財自在 ④ 業

自在 ⑤ 生自在 ⑥ 勝解自在 ⑦ 願自在 ⑧ 神力自在 ⑨ 智自在 ⑩ 法自在)を獲得しており、「観自在菩薩」と称されることもあ

ります。

「観音菩薩」のご利益は「七難を免れること」で、 七難とは、① 火難(かなん):火による災難 ② 水難(すいなん):水によ

る災難 ③ 羅刹難(らせつなん):悪い鬼による災難 ④ 刀杖難(とうじょうなん):武器による災難 ⑤ 鬼難(きなん):死

んだ物の霊による災難 ⑥ 伽鎖難(かさなん):投獄される災難 ⑦ 怨賊難(おんぞくなん):悪人による災難 を意味していま

す。

因みに、私のための『女難』がありませんが・・・(笑)。

〇 やさしさの まなこの奥に 十自在秘め

〇 わざわいを 取り除き給うや 南無観世音

〇 ありがたや かんのんさまの すくと立つ

                                 訪問感謝。ではまた次回に。         合掌