「サヨナラだけが人生か? グッドバイの文学」
久しぶりに参加させていただきます。といっても二回くらいしか参加してないかしら?
グッド・バイといったらもう、参加しないわけには行かないでしょう♪
でも、『グッド・バイ』じゃないですよ。
まずはこれ。
大きな文字で読んでください。w
「私には、わからない。わかっているひとなんか、無いんじゃないの? いつまで経っても、みんな子供です。なんにも、わかってやしないのです」
けれども、私は生きて行かなければならないのだ。子供かも知れないけれども、しかし、甘えてばかりもおられなくなった。私はこれから世間と争って行かなければならないのだ。ああ、お母さまのように、人と争わず、憎まずうらまず、美しく悲しく生涯を終る事の出来る人は、もうお母さまが最後で、これからの世の中には存在し得ないのではなかろうか。死んで行くひとは美しい。生きるという事。生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。私は、みごもって、穴を掘る蛇の姿を畳の上に思い描いてみた。けれども、私には、あきらめ切れないものがあるのだ。あさましくてもよい、私は生き残って、思う事をしとげるために世間と争って行こう。
お母様の死。
最後の貴婦人。
和子は恋と革命に走る。
そして、次は・・・、
「浦島さん」のラストも印象深い。
年月は、人間の救ひである。
忘却は、人間の救ひである。
竜宮の高貴なもてなしも、この素張らしいお土産に依つて、まさに最高潮に達した観がある。思ひ出は、遠くへだたるほど美しいといふではないか。しかも、その三百年の招来をさへ、浦島自身の気分にゆだねた。ここに到つても、浦島は、乙姫から無限の許可を得てゐたのである。淋しくなかつたら、浦島は、貝殻をあけて見るやうな事はしないだらう。どう仕様も無く、この貝殻一つに救ひを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよさう。日本のお伽噺には、このやうな深い慈悲がある。
竜宮からのグッド・バイでもあるし、世間からのグッドバイでもあるんですね。
「聖諦」
このあたりから、太宰さん現実離れしてきていないかしら?
戦後は、桃源郷を夢見たり。
もともとそういう性向だったのでしょうね。
きりがないので、最後は・・・
お風呂で読んでください♪
私は虚飾を行はなかつた。読者をだましはしなかつた。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。
ラストの一言。高校のころ、車の中で読んだ『津軽』。
忘れられないな。家族と一緒だったのに、危うく泣きそうだったよ。
太宰さんは故郷を見納め、の気持ちで回ったんだと思う。
そうして、たけにあって、忘れ難い人たちに会って。
すっきりしちゃったんじゃないかな?
もういいかなって。
この後、戦争が激化して、終わって、東京に戻ってくるくる回って、散る。
考えてみると、太宰さんはいつも世の中からグッド・バイしたかった人だから、(逆にだからこそ凄まじい執着があったともいえる)彼のテマは、サヨナラの喪失感だったのではないかと思うのであります。
「幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感というものならば」
と『斜陽』にあります。
この薄明り、光と影が、多くの読者を捕えて離さないのでしょうね。
では、ぐだぐだでしたが、スイマセン。
グッド・バイ
久しぶりに参加させていただきます。といっても二回くらいしか参加してないかしら?
グッド・バイといったらもう、参加しないわけには行かないでしょう♪
でも、『グッド・バイ』じゃないですよ。
まずはこれ。
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大きな文字で読んでください。w
「私には、わからない。わかっているひとなんか、無いんじゃないの? いつまで経っても、みんな子供です。なんにも、わかってやしないのです」
けれども、私は生きて行かなければならないのだ。子供かも知れないけれども、しかし、甘えてばかりもおられなくなった。私はこれから世間と争って行かなければならないのだ。ああ、お母さまのように、人と争わず、憎まずうらまず、美しく悲しく生涯を終る事の出来る人は、もうお母さまが最後で、これからの世の中には存在し得ないのではなかろうか。死んで行くひとは美しい。生きるという事。生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。私は、みごもって、穴を掘る蛇の姿を畳の上に思い描いてみた。けれども、私には、あきらめ切れないものがあるのだ。あさましくてもよい、私は生き残って、思う事をしとげるために世間と争って行こう。
お母様の死。
最後の貴婦人。
和子は恋と革命に走る。
そして、次は・・・、
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「浦島さん」のラストも印象深い。
年月は、人間の救ひである。
忘却は、人間の救ひである。
竜宮の高貴なもてなしも、この素張らしいお土産に依つて、まさに最高潮に達した観がある。思ひ出は、遠くへだたるほど美しいといふではないか。しかも、その三百年の招来をさへ、浦島自身の気分にゆだねた。ここに到つても、浦島は、乙姫から無限の許可を得てゐたのである。淋しくなかつたら、浦島は、貝殻をあけて見るやうな事はしないだらう。どう仕様も無く、この貝殻一つに救ひを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよさう。日本のお伽噺には、このやうな深い慈悲がある。
竜宮からのグッド・バイでもあるし、世間からのグッドバイでもあるんですね。
「聖諦」
このあたりから、太宰さん現実離れしてきていないかしら?
戦後は、桃源郷を夢見たり。
もともとそういう性向だったのでしょうね。
きりがないので、最後は・・・
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お風呂で読んでください♪
私は虚飾を行はなかつた。読者をだましはしなかつた。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。
ラストの一言。高校のころ、車の中で読んだ『津軽』。
忘れられないな。家族と一緒だったのに、危うく泣きそうだったよ。
太宰さんは故郷を見納め、の気持ちで回ったんだと思う。
そうして、たけにあって、忘れ難い人たちに会って。
すっきりしちゃったんじゃないかな?
もういいかなって。
この後、戦争が激化して、終わって、東京に戻ってくるくる回って、散る。
考えてみると、太宰さんはいつも世の中からグッド・バイしたかった人だから、(逆にだからこそ凄まじい執着があったともいえる)彼のテマは、サヨナラの喪失感だったのではないかと思うのであります。
「幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感というものならば」
と『斜陽』にあります。
この薄明り、光と影が、多くの読者を捕えて離さないのでしょうね。
では、ぐだぐだでしたが、スイマセン。
グッド・バイ