日経社説「幼児教育の無償化より保育所整備を急げ」そのとおり。企業参入を妨げる自治体の方針転換を求める。整備を進めた結果周辺からの移住が見られる横浜が好例。
いや内心「バカか?」って思うよ。思うけどさ。こっちは住んでるからもう飽き飽きな話題だし、呆れる事にも疲れてるくらいだけど、そういう認識の人を「潰す」みたいなやり方はどうかな、とね。嘘は潰したいとしても。
おそらく今福島に住んでいる人間はこの「呆れるのも疲れた」って感覚分かってくれる人が少なくないと思うんだ。
ぼくの好きなメニューは「セロリと牛肉の煮物」です。ほかのもとってもおいしいんですけど、個人的になぜかこれが好きなんです。ゴハンにも合うんです。ああ食べたい。つくりかたは『LIFE 副菜』120ページに載ってますー。(シェフ) 1101.jp/X1OrpU
他人に対する配慮、思いやり、優しさばかり強調される社会における若者たちは、自分の叫び声を出せなくなってしまったのだ。たしかに何をしゃべってもだれかを傷つけるものである。だれをも絶対に傷つけないような言葉を発すること、それはもう言葉の否定以外にはありえない。『<対話>のない社会』
文を書く技術を学ぶ前に感想文を書かせられる国語、競技ルールやコツを学ぶ前に体を動かされる体育。共通している気がする。その点、数学はしっかりと積み上げ式になっているかな。
これは、小説だけでなく、一般社会にもただしく適応可能だ。社会不安が蔓延するときは、噂が蔓延する。歴史的にも、必ず、そのようになっている。逆から見れば、伝聞情報に基づく噂をばらまく行為それ自体が社会不安を増幅させている、と言える。
女子大生っぽい人たちが「最近彼氏とどうなの?ラブラブらしいぢゃん?」「いや…まじディアゴ系で萎えた。」「マジ!?ディアゴ系ウケるww」とか会話してて、しばらく考えた結果「ディアゴ系」が「ディアゴスティーニ創刊号系男子=最初だけ優しい人」と解読することができ、謎の達成感に包まれた。
挫折はどんどんすべき。その痛みをよく憶えていて、次のチャレンジのバネにする。へこんだり、跳ね返したり、その心の動きがエンジンのピストンになり、君の人生を前に運んでくれる。
演奏のテンポについてグールドの言葉。「グールドはテンポそれ自体を切り離して考えずに、作品把握と連動させて考えていたのだ。「テンポから曲の把握が生じるのではない。その逆だ。各動機のあいだに有機的統一が生まれれば、テンポはどうでもよい。」」『グレン・グールド孤独のアリア』筑摩書房より
【グールドで朗読論】人前で読むとき衒いが生じる。グールドの演奏の理想はこうであった。「彼が望んだのは、音楽の身体が、死を迎えるときのように、すべての虚飾を脱いで裸になって、肉体の貧しさに立ち戻りながら深みに沈んでゆくことだった。」『グレン・グールド孤独のアリア』筑摩書房119頁
発言が一部のお客さんの不快を招いたことについては、すぐ「申し訳ない」と番組側に重ねて申し上げた。自ら視聴者に釈明したいとも思った。日中友好を願ったとはいえ、友人の多い日テレさんに迷惑ですし。このように反論せざるを得ないのは、一部マスコミに政治利用されたからだ。
友人の飯野賢治さんが亡くなった。ゲームクリエーターとして有名な飯野さんだけど、未来のことを真剣に考える熱い男だった。震災後に書かれたブログ「息子へ。」(bit.ly/fYaJ7G )は名文だった。突然の死。無念だっただろうな…。飯野さん、精いっぱい生きるよ。
俺の方が君より人生において大事なものを知っていて、だからそれを教えてあげる。という無意識の傲慢さがないと私生活の指導なんてできない。