うららかな朝 333 × 242 cm F4号
「うららかな朝 」この絵画は令和三年 (2021)の制作です。
奥秩父の名も分からぬ集落を車を転がしていて偶然に遭遇しました。
桜が平地より半月ほど遅く今を盛りに咲きほころんでいます。
してその奥には農家の古民家が佇んでいて、雨戸はまだしまっています。
日曜の朝早くこの場所は時間がゆったりして何故か心が引き付けられました。
絵画を制作する5年も前のことです。
心内で「おじゃましまぁ~す」と声を掛け無断でよそ様の庭へ入りこみレンズを向けました。
良い子は真似をしないようにね無断で侵入は犯罪ですよ。
主役は勿論古民家ですね。
さくらには申し訳ありませんが脇役です。「すいません」
私の好きなアイテム軽トラが行儀よくしています。「かわいい~ぃ」
何故か制作に至るまでに5年も要してしまったのか自身も分かりませんがきっと心の何処かで
そっとしておきたかったんだろうと今になって思います。
さて、今回は日本で二番目に高い山北岳の頂上での国際的いざこざを書いてみます。
北岳は(3193.2m)、南アルプスの北部に鎮座する富士山に次ぐ標高を掲げています。
大樺沢~左股沢~八本歯のコルのは岩場の急登で北岳に続く分岐へと着く、この日は
秋の低気圧が近づき天候は今一つ冴えない状態でたっぷりと水分を含んだ黒みを帯びた雲が向かってくる。
「これは荒れるなぁ」と山の友が言う。
「早めに頂上を攻めて北岳山荘まで走ろう」ともう一人の山の友の声。
「おぉ!」と威勢のいい声で返すパーティー等の声で北岳の頂上へと登る。
この時の山行メンバーは少し変わっていました、なぜなら国際パーティーです。
日本隊3名ドイツ隊3名の6人です。
当時ドイツのアルパイン会員メンバーは何故か私の家がベースキャンプでした。
ドイツの長い夏休みも終盤になり心置きなく戯れるメンバーで白根山山縦走の決行となった。
縦走路は完全にガスって3m程の視界の中迷う事はないが稜線からの滑落には気を付けねばならない。
「おい、山頂らしき物が見えるぞ」「それに既に登山者が数人いるようだなぁ」
そんな言い合いをしている間に山頂へ辿り着いた。
風が雨を含んでいるのか雨が風を含んでいるのか一段と強く横殴りに雨具を揺らす。
既に頂上には大人3人子供1人の人達が寒さに震えていた。
よく見れば雨具など着けておらずジーンズやジャンパーなどの軽装でましてや男の子などは全身濡れネズミに
なり唇が何気なく青い様子なので私はおもむろにザックからチョコレートだし男の子へ食べなさいとあげた。
その刹那女性の怒鳴り声が強風に負けず劣らずの大声で私へ怒鳴り着ける。
女性が居たのかなどと、どうでもいい事を考えている間もその女性は私を怒鳴りつけていた。
正直なところ訳が分からないというところです。
そこへ我らメンバーのB氏がドイツ語で仲裁に入ると向こうの男性も参加してきたのでこちらのドイツ人R氏も参戦する。して外人3人同士でもめている。
「何でこうなるんだ」分け解らず我らJAPAN3人組はそれを観戦していた。
天候はますます悪くなる遭難者が出てしまうではないか。
「B嵐がひどいから小屋へ急ごう」と伝えると彼は親指を立てた。
嵐の中を駆け足状態で来た登山道を下り北岳山荘へと逃げ込んだ。
素泊まりなので我らで夕餉を揃えて北岳頂上での出来事を聞いた。
彼らは東ドイツの人で東京の大使館員だと言う事だった。
そして私の行いを諫めたのは勝手な振る舞いは許せないとのことで私へ注意したのだと。
時と場合には日本式マナーも受けることも必要ではないかと話している内に男たちと国の話になり
我ら日本人とのことや当たり障りのない話をしたとのことでした。
一方の東側はパーティーは我らパーティーから遅れること30分後に小屋へ入るのを確認した。
翌日の快晴の中縦走を続ける我らと会っても挨拶もしないし我らの西側の者とも一切の話をせず
彼らは下るルートへと消えて行った。
西ドイツと東ドイツの人達が日本の中央の山頂で嵐の中井戸端会議を行いました。
以上、現場からお伝えしました。
長文になってしまいました。
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