忍野富士 333 × 242 F4号
上記の絵画は来年の年賀の為に描いた山梨県忍野村からの富士の絵です。
過去に3回富士へ登った、厳冬期2回と夏のシーズン1回とその都度の山行の思いではそれぞれに異かなる思い出がある。
今迄で多くの山へ取りつかれたように登ったが大きな事故は起きなかった今更ながらつくづく感謝をしたいる。
登山はスポーツ、趣味、遊びのフィールドと位置付けることが出来ると思うが、どこの位置付けるかは人それぞれである。
私は東京湾の側で育ち子供の頃は海が大好きな少年だった。
だから泳ぎは得意で夏は勉強もそっちのけで泳いでいた。
今思ば恥ずかしい限りである。
そんな子供がある夏、父に山登りに連れて行かれた。
丹沢の塔ガ岳だったと思います。
マイナスからプラスの世界感は計り知れない冒険感がまとわりつき山の世界観にすっかり飲み込まれてしまった。
小四の夏休みの夏だった。
それから山への人生がスタートした。
山と渓谷、岳人は毎月買い求め次の山への5万図(国土地理院発行)ルートを調べガイドブックと照らし合せ計画を立てるだけの登山も良くした、山岳小説を読み本の世界へ当飛行を繰り返していた。
海でも山でも自然は人と仲間ではないと断言する。
人と自然との距離を測ると人は恐らく蚤位いだろう。
そう。人の血を吸う蚤。
そう意識していればいつ捕まって潰されるか常に心していられる。
何度か登山中で死を感じた事はある。
でも不思議と何故か冷静な頭と心が気を静めてくれる。
そのような状態は次の行動を起こすためのすき間を見つけ出すことが出来る。
その隙間と瞬時の行動で助ったこともある。
山での遭難で多いい一つとして気象遭難がある。
結構多いいので心するとよいです。
皆さんが良く知る高尾山でも気象遭難で男性が(低体温)命を失っています、標高500mでも置きます。
あぁ思い出した、中学生の頃自転車で高尾山へ登りました。
何で登ったんだろう。
思い出せないなぁ~。
今回、きちんとしたテーマがあって文書をつづるつもりが重い文書になってしまい申し訳ない。
次回、たぶん来年はいつものアホな自分で書きます。
皆さま良いお年を・・・・