時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

今日までそして明日から

2022年07月23日 | 時のつれづれ・文月 

多摩爺の「時のつれづれ(文月の33)」
今日までそして明日から(吉田拓郎ファイナル)


今月の初め、フォークシンガーの山本コウタローさんが73歳で逝き、
21日に放映された・・・ 音楽とトークの番組で、
私が大好きなフォークシンガー吉田拓郎さん(76歳)が、年内で第一線から退くことを表明された。

どうやら・・・ 我々世代の青春を代弁してくれたフォークソングに、
一つの区切りがやって来たようだ。

ところで・・・ フォークソングって、今の時代にだれか歌っているのだろうか?
あくまでも個人的な主観になるが、山本コウタローさんの「岬めぐり」と、
財津和夫さんの「サボテンの花」で・・・ 一つの区切りをつけた後、
その後、井上陽水さんの「リバーサイドホテル」を経て、「少年時代」を最後に、
フォークソングという・・・ 一つの音楽ジャンルは、私の記憶のなかからなくなってしまった。

歌謡番組が茶の間の中心にあり、御三家(橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さん)の歌を、
いつも口ずさんでいた小学校(高学年)のころ、
あっという間に時代を席巻し、あっという間に消えた、グループサウンズと過ごした中学生時代、
その後、高校に入ったころ友人に勧められ、
ラジオの深夜放送を聞き始めて出会ったのが・・・ フォークソングだった。

社会人になって、お酒を飲むようになると、時代は8トラのカラオケがブレイクしていて、
お店の女の子とデュエットできる流行歌や演歌に、浮気したことはあったが、
フォークソングは・・・ 青春そのものだった。

ここから先は、2年前の5月に、吉田拓郎さんについて記した、ブログのコピペになるが、
私にとっては一つの忘れ得ぬ出会いであり、一つの節目でもあるので、

少しだけ加筆して・・・ 再度記させていただきたい。
重複記事となって申し訳ないが、ご容赦いただけるとありがたい。

いつものように、ラジオの深夜放送を聞いていたら、
ちょっとばかり、ぶっきらぼうで、投げやりとも感じられるような歌声が聞こえてきた。

なにかに怒りでも・・・ あるんだろうか?
それとも、なにかに不満をぶつけたいのだろうか?
その歌声は、行き場を見失った、やるせない心の叫びのようにも思われた。
それが・・・ 吉田拓郎という、ちょっと尖がってたフォークシンガーとの出会いだった。

昭和42年から44年にかけて、この国はグループサウンズという4~5人組の若者たちが
同じ服を着て、同じステップを踏み、長髪にギターを持って、お茶の間を席巻していた。
アイドル顔負けの扱いを受け、毎晩のように歌謡番組を梯子し、
愛だ、恋だ・・・ と歌う、安っぽいラブソングに、この国の皆がうなされていた。

ところが・・・ 栄枯盛衰は世の習い、時の移ろいはあまりにも早過ぎる。
麻疹に罹ったようにボルテージが上がったグループサウンズ熱は、
3年を持つことなく、あっという間に終焉を迎えた。

ちょうど、その頃だった。
ラジオの深夜放送を中心に、若者が影響を受けやすい歌が流行りだしていた。

それは・・・ 有名な作詞家や、有名な作曲家が作った流行歌というジャンルではなく、
どこにでも居そうな、ニイチャンや、ネエチャンたちが作った詩や曲を、
どこにでも居そうな、ちょっと気だるそうなニイチャンや、ネエチャンたちが、
安っぽい服装(いわゆる普段着)で、ギターを弾きながら・・・ 切なそうな声で歌っていた。

後にシンガーソングライターという言葉で一般化されたが、
この時期に現れたフォークシンガーたちが、
その先駆けだったことは・・・ 言うまでもあるまい。

彼らが歌っていた初期のフォークソングに共通していたものは、
陰りが見えてきた学生運動への挫折感もあったと思うが、
その多くは、特に理由があるわけでもないのに、
なにかにつけて反抗してしまう・・・ 若者特有の屈折感があったと思うがどうだろう?

それは・・・ 社会の片隅で暮らす人々の、心の声だったかもしれない。
ただひたすらに、経済成長を担う働き手としての役割に、何かしらの不満を覚え、
一方でマスコミを通して耳にし、目にしてきた・・・ ベトナム戦争や、小笠原と沖縄返還など、
自分ではどうすることも出来ないのに、
頭のなかには、自分なりの正義感があって・・・ 無性にイラついていた。

戦争を経験した親と、戦争を知らない子供たちの心に蓄積する世代間のズレ、
そして、経済成長から少し乗り遅れてしまった屈折した疎外感など、
個人的な思いこみで・・・ 恐縮だが、
フォークソングのスタートは、そこらあたりの、はけ口だったのではなかろうか?

そんな、ちょっと屈折しかけたハートに垣間見える本音が、
吉田拓郎の「人間なんて」には、
たった二行のフレーズに凝縮され、やるせない声で吐露されていた。

 何かがおかしいよ
 それがなんだかわからない。

そう、明快な疑問もなければ、明快な回答もなかった。
あれから半世紀、今になって振り返れば、大人になるまでの通過点で積み重ねて行く、
経験と成長に他ならず・・・ 避けては通れない、かけがいのない時間だったように思われる。

ギターを弾きながら、ハーモニカを吹きながら歌うフォークソングに嵌まってしまった。
高熱にうなされるほどではなかったが、流行病(はやりやまい)に罹患したまま、
時は忙しく過ぎて行き、還暦を過ぎて今なお、この病は完治していない。

西日本の田舎町に住んでいても、深夜0時を過ぎ、短い針が下に向き始めると
憑りつかれたかのように、ラジオのスイッチを捻り、
東京から放送されるディスクジョッキーの話術に心を奪われていた。
深夜放送は、若者にとって欠かすことが出来ない、情報源であり栄養剤でもあった。

吉田拓郎を知ってから既に半世紀
井上陽水も、かぐや姫も、さだまさしも良いけど・・・ 私は断然、拓郎びいき
特に次の3曲は、私のハートを掴んで離さない。

50年前に魂を揺さぶられた曲は「人間なんて」と「マークⅡ」
 さよならが言えないで どこまでも歩いたね・・・
このフレーズが、妙に心に突き刺さっていた時期もあった。

心の弱さをひた隠し、あえて尖がっていたあの頃、勉強も、部活も、恋愛も、
ホントにホントにギリギリで、泣きが入る寸前だった日々のことを・・・ 思い出す。

50年経ったいま・・・ 心の琴線に触れた曲は「元気です」だ。
この歌を口ずさむと、脳裏に浮かぶのは当時の故郷の光景や、
年老いた親のことが思いだされる。
さすがに、涙は出ないが・・・ たまに「うるっ」とくることがあったりもする。

 元気です  作詞・作曲・歌 吉田拓郎
 ※YouTubeで検索してみてください。(すっごく、良い歌です。)

  誰もこっちを むいてはくれません 一年目の春に 立ち尽くす私
   道行く人々は 日々を追いかけ 今日一日でも確かであれと願う
   わずかにのぞいた 雨上がりの空を見て 笑顔を作って「どうですか」と問いかける
   いろんなことがあり 愛さえ見失う
   それでも誰かと触れあえば そうだ「元気ですよ」と答えよう

   風よ運べよ 遠い人へのこの便り 二年目の夏 なみだともらい水
   幸福の色は 陽に灼けた肌の色 唇に浮かんだ言葉は潮の味
   出会いや別れに 慣れてはきたけれど 一人の重さが誰にも伝わらず
   どこかへ旅立てば 振り返りはしない
   それでもこの町に心をしずめたい そうだ「元気ですよ」と答えよう

   夕暮れ時には 思いが駆け巡り 三度目の秋に 何かが揺れている
   時間を止めても 過ぎ行くものたちは 遥かな海原に漂い夢と散る
   かすかに聴こえた やさしさの歌声は 友や家族の手招きほど懐かしく
   木の葉にうずもれて 季節に身をまかす
   それでも私は私であるために そうだ「元気ですよ」と答えよう

   自由でありたい 心のままがいい 四年目の冬に 寒さを拒むまい
   どれだけ歩いたか 考えることよりも 標(しるべ)なき明日に向かって進みたい
   あなたの人生が いくつもの旅を経て 帰る日くれば笑って迎えたい
   私も今また 船出の時です 
   言葉を選んで渡すより そうだ「元気ですよ」と答えよう

様々な経験を積み重ね、人の親になり、孫を持ち、人生の黄昏期に入ってなお、
この歌を聞くたび、今さらながらだが、
心に沁み入る応援歌だと・・・ 心の琴線が共鳴する。

新型コロナウイルスの蔓延拡大が続き・・・ 外出自粛が続く毎日、
唯一の楽しみは、人々がまだ出歩かない早朝のウォーキング

年金暮らしの爺さんが、誰が見てるか分からないのに、
吉田拓郎の歌詞に併せて、思い出を振り返り・・・ 含み笑いで口ずさむ、
一人だけの悦の世界が堪らない。


追伸
「今日までそして明日から」は、吉田拓郎さんの名曲だが、
「私は今日まで生きてみました。」と歌ったあと、「そして私は、思っています。」と続けて、
「明日からもこうして生きていくだろうと」と結んでいる。

また、いつか、どこかで・・・ 拓郎さんを見ることが出来る日もあるだろう。
だれかのスクープ映像で、元気な姿と軽快な歌声を聞かせてもらえたら、嬉しい限りである。


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6 コメント

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Unknown (霧子)
2022-07-23 07:59:30
おはようございます。
日々元気が無くなっています。出来れば楽になりたとも。。
今朝の多摩爺の更新で元気頂きました(__)
吉田拓郎さんの歌をYouTubeでお聴きしてきました。

もう少し生きたいと思えました。
ありがとうございました。
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Unknown (多摩爺)
2022-07-23 11:39:23
霧子さん、こんにちは

暑い日が続きますが、無理せず元気を出して頑張りましょう。
自分に過度のプレッシャーをかけないようにしてくださいね。
返信する
Unknown (ケイ)
2022-07-25 06:59:09
遅れコメントで失礼します。(^^;
夫が拓郎さんファンで私も聴くようになりました。
若い頃の拓郎さんより落ち着いた声が好きになり
2019年のコンサートで初めて生の拓郎さんを見て聴いて
さらに好きになった私です。
先日の番組は夫と二人で拝見しましたが胸が熱くなりました。
夫は寂しいのだろうなぁ・・・
「元気です」いい歌ですよね。私も好きです♪
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Unknown (多摩爺)
2022-07-25 08:01:00
ケイさん、おはようございます。

先日の番組は、ホントに良い番組でした。
拓郎さんの顔から、研ぎ澄まされた気迫がすっかり消え、後輩を見守る優しい眼差しに、時代の流れを感じました。
好々爺となられた拓郎さんもまた・・・ 魅力的でしたね。
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帰る日くれば笑って迎えたい (りりん)
2023-04-05 13:28:23
 私は断然、拓郎びいき!!
この言葉が嬉しく、あ~同じだったんだあ
と仲間のような、同士のような感情を持ちました。
半世紀に渡る、「吉田拓郎」 との出会いは
私にとっても大きくて深く、何事にも代えられないもの
「元気です」は本当に素晴らしい曲
心の襞襞にまで届きます。
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Unknown (多摩爺)
2023-04-05 14:06:00
りりんさん、こんにちは

拓郎さんびいきの方がいらっしゃって、大変嬉しく思います。
私にとって拓郎さんの歌は、青春時代そのものであって、皺と脳裏に刻まれた追憶です。
時代背景がいまとは違うと言えば、それまでですが、私が生きてきた昭和そのものだと思います。

コメントを頂戴し、ありがとうございました。
当時のことや、故郷のことを、また思い出していました。
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