多摩爺の「時のつれづれ(睦月の34)」
故意犯に減刑を求める違和感(元総理の銃撃事件)
元総理が奈良市で銃撃されて亡くなった事件から・・・ 半年が経ち、
約5ヶ月に渡って、現行犯で逮捕された容疑者の鑑定留置(精神鑑定)が行われた結果、
ことの善悪を判断する能力に、大きな影響を与えるような精神疾患が認められなかったことから、
奈良地検は先週末(13日)、42歳の容疑者を殺人と銃刀法違反で起訴している。
現行犯だから・・・ 同容疑者が実行犯であることに、疑う余地はないものの、
メディアに出てくる弁護士の話によると、通常行われる鑑定留置は2~3ヶ月だというから、
5ヶ月もかけたのは・・・ 異例中の異例であって、
今後の審理において、精神鑑定が影響しないよう、より慎重になったのではと言っていた。
そうなると・・・ 注目しなきゃならないのは、検察の求刑がどうなるのか、
死刑か、それとも無期懲役か、はたまた30年を最長とした有期懲役か、
野次馬みたいで恥ずかしいが、国の元トップを白昼堂々と射殺した事件は、どの程度の重さなのか、
さまざまな視点から・・・ 興味を持って見守りたいと思う。
この国では、人を1人を殺めると、20年ぐらいの懲役刑らしく、
これに強盗や強姦、銃刀法違反、死体遺棄などの罪状が加わわると無期懲役になったり、
複数人を殺めると、死刑になるというのが、
不適切な表現で大変申し訳ないが・・・ 刑事裁判での相場らしい。
裁判員制度が導入されて以降、事件内容によって悪質性が高ければ、
被害者が1人であっても死刑が求刑されたり、そのまま結審することもあるらしいが、
この事件については、警備体制の責任を取って、県警トップの首が飛んでおり、
どういった求刑がされるのか・・・ まずはそこから、注目したいと思っている。
ただ・・・ 元総理であろうと、一般人であろうと、
社会的な地位のあるなしで、求刑に差を付けることは、あってはならないと思うが、
事件が民主主義の基本でもある、選挙期間中の街頭演説だったということは非常に重く、
野次馬だと言われようが、その判断に注目するのは致し方ないんじゃなかろうか?
類似する事件としては・・・ たしか、20年ぐらい前の長崎市長選挙で、
候補者本人が、私怨をもった反社会的勢力に属する容疑者から銃撃されて亡くなっている。
このとき長崎地裁は死刑判決を下し、容疑者が控訴すると、福岡高裁は無期懲役にしたが、
あくまでも有期刑を求める容疑者と、無期刑に不服の検察がともに控訴すると、
最高裁が控訴を棄却したことから、無期懲役が確定したという前例があったので、
たぶんその事例が参考になるのだと思う。
それにつけても、殺人を犯した容疑者の減刑を求める署名を集めたり、
現金や衣服などの差し入れをしたり、
信じられないことには、英雄視するような声まであるのは・・・ なぜなんだろうか?
犯罪に至った経緯が、母親が宗教団体に多額の献金をしたことから始まり、
その後、それが原因で家庭崩壊したことが、容疑者に引き金を引かせたとの同情論があって、
容疑者の生い立ちを辿れば、真面目な努力家であって、
更生の余地があるとして・・・ 減刑を求めているようである。
善意の第三者としては、同情論があることについて・・・ 分らんことではないが、
容疑者は分別がつかない子どもではなく、40歳を超えた大人である。
さらに事件は、過失致死ではなく、意図を持って故意に殺害を企てた凶悪犯である。
生い立ちが不憫だったら、犯罪を犯して良いという理屈は、当然あり得ないし、
容疑者の生い立ちがどうであろうと、
過失致死でない限り、殺人は殺人であり・・・ それ以上でも、それ以下でもない。
私が子どものころは、容疑者よりも、もっと厳しい環境にあった子どもは、たくさん居たが、
彼らや、彼女らが・・・ 後々、犯罪者になったという話しは聞いたこともない。
そういった人々と同じ境遇ではないものの、生い立ちが不憫だから減刑を求めるという理屈は、
申し訳ないが、屁理屈の極みであって・・・ 違和感を覚えるとしか言いようがない。
もしも、本当にもしもだが・・・ 仮に減刑が認められ、
10年か、20年か分らないが、罪を償い出所したとして、
容疑者が名前を変えて、自宅の近くに住んでいたとしたら・・・ どう思うだろうか?
罪を償った者が、再犯を犯すだろうと・・・ 必要以上に恐れて、
差別するようなことは、絶対にあってはならないが、
自宅の近所に、銃を作る技術を持ち、その銃で犯罪を犯した者が住んでいることが分れば、
差別はしないといっても・・・ 未熟者で申し訳ないが、気持ちが良いものではない。
容疑者を支援する人と養子縁組をして姓を変え、
近くに住んでるということも・・・ この国では難しいことではなく、
既にそうなっている可能性だって、十分にあり得るだろう。
よって、軽々に減刑を望むということは、
そういう環境を、少しでも早く望むと言ってるのと同じではなかろうか?
親族が手を尽くして、母親が行った巨額の献金を取り戻すことができれば、
おそらく、出所後の生活に困ることはないと思うが、
生活に困らないことと、近所に住んでいるかもしれないと、いうことは、
必ずしも、同じ土俵で比較して、判断できることではないので、
できることなら、そういった方とは関わることなく、知らないまま過ごしたいと思っている。
また、元総理を忌み嫌って、容疑者のことを「正義の鉄槌を下した人物」だとか、
「日本を守ってくれた人物」だとか、英雄視する声が有ることには、
「なにを勘違いしてるんだ!」と一喝したい。
その発想は、屁理屈であろうと、理由さえあれば、犯罪であっても容認することと同じであり、
それは、この国の初代総理を殺害した犯人を英雄視して、
ことあるごとに政治問題化して、反日教育を行ってきた・・・ お隣の半島と同じ発想であって、
申し訳ないが、この国で普通に教育を受けた者が挙げる声とは思えない。
もしも、本当にもしも・・・ 銃口の角度と方向が、少しでもズレていたら、
聴衆に犠牲者が出ていたかもしれないような、極めて深刻で重大な事件であったにも拘わらず、
そんなことも思いつかず、好き勝手なことを言ってるんだから・・・ 情けないにもほどがある。
この国では、法の下に言論も行動も自由だが・・・ 度を超えた過激すぎる言動や行動を、
過激派等を取り締まり、秘密裏に行動する公安が、
黙って見逃しているとも思えないが、如何なものだろうか?
公安だって暇じゃないと思うが、その行動が表に見えない(見えてはいけない)組織だけに、
なにか気にかかるワードがヒットしたり、犯罪につながるような組織性が垣間見えたら、
秘密裏にプロバイダーに情報開示を求めた上で、気になる人物の身辺を調査したり、
公安のデータベースに載ってしまうことも・・・ あるのではなかろうか?
老婆心ながら思うに・・・ 昨今のネット社会では、じわりと法律の整備も進み、
無知だったでは済まないこともあり得るので、
もっと、もっと、慎重になってほしいと願ってやまない。
これから奈良地裁で、長い時間をかけて始まるであろう審理は、
国民の中からくじで選ばれた、裁判員で行われる裁判員裁判であることを踏まえれば、
想像を絶する注目を浴びることになり、その負担と疲労は、途轍もなく大きくなるだろう。
いささか、講釈を垂れてしまったが、
選挙期間中における街頭演説で、手製の銃で背後から銃撃したという事実を、どう捉えるのかと、
まかり間違えば、聴衆を巻き込む危険があったことを、どう捉えるか、
この2点が公正に審理されれば・・・ それで良いんじゃないかと思っている。
私は元総理と同郷であって、さらに同い年という共通点もあるが、
こと裁判においての立場は・・・ 全くもって中立であり、
求刑や判決に対して、けっして偏った入れ込みがあるわけではない。
よって、小難しいことを言うつもりは・・・ サラサラなく、
適正な審理を経て、容疑者に更生を求める有期刑の判決が下るのであれば、
それもまた、一つの判断だとして受け入れるしかないと思っている。
ただ一つだけ・・・ 言わせてもらうと、
40歳を過ぎた大人が犯した、稚拙で浅はかな事件であり、
厳しいようだが、動機がなんであれ、殺害の意図を持った故意犯に、減刑を求めるということは、
屁理屈の極みであって違和感しかあり得ない。(それだけのことである。)
こういった事柄については、触れないに越したことはないと思いもしたが、
なんか違うような気がして・・・ 思いの丈を綴ることにした。
なん度か読み直したつもりだが、本文中に不適切な文面があったら、
他意はないので・・・ 勝手ではあるが、読み飛ばしていただけるとありがたい。
追伸
ここに述べたことは、あくまでも個人的な思いであって、
コメントを頂戴しても、議論するつもりはないので・・・ ご理解をいただきたいと思います。
過去の判例は全て白紙に戻し再検討が必要です。
刑法における感情論、精神鑑定、裁量等は非常に不公平です。
やはり単純明快に改正することが先決だと思います。
また、「更生」という曖昧模糊な基準は意味がない。
なので、加害者擁護(性善説)は破棄すべきです。
理由は、誰も加害者の心理、感情、環境を確実に分析はできない。
なので、事件の「結果」が全てだろうと思います。
不可能な物を恰も専門家が判断できると錯覚している。
この点は非常に問題が多いと思います。
やはりやったことの行為には「償い」が基準だろうと思います。
従って、加害者より「被害者側」からの判断が妥当だと思います。
乱暴に表現すれば「仇討ち制度」復活も一理ある。
仇討ち制度は、さすがに如何なものかと思いますが、
現行の加害者に寄り添った法律から、被害者の思いに寄り添った法律に変えることには大賛成です。
「罪を憎んで人を憎まず。」と言いますが、
精神論はそれで良いと思うものの、現実社会では人は罰せても、罪は罰せません。
基本的には、ファクトに基づいて裁けば良いだけで、
そこに情が立ち入って、さじ加減するようなことは慎むべきだと思っています。
まずは、執行猶予という制度を無くすべきでしょう。
刑事罰を受けた者は、必ず一定期間は塀の中で過ごすべきではないでしょうか?
結論が出ないで平行線に終わる問題ですね。
すべて政治と宗教の問題は、
どちらが正しくてどちらが間違っていると結論付けられません。
だから議論すべきでなく、話題にすることも避けた方が良いようで・・・
アドバイスをいただき、ありがとうございました。
書きたい気持ちを抑えられるかどうかですが、参考にさせていただきます。
この事件にはいろんな考え方があると思います、
あの事件があったらこそ政治家と統一教会の深い関係が、
我々にも分り一石を投じてくれたとも思います、
議論に値しないないようなんて、とてもとても思えません、
おおいに語って下さい、私は勉強になりました。
元総理の殺害事件と、宗教団体への法外な献金と、政治と宗教問題(政教分離)は、それぞれの別物であって、
この三つを同じ土俵に上げてしまうと、感情で論争することが避けられなくなるので、
話題すべきではないとの発言があったのでは、と推察しました。
ご不満があるかもしれませんが、的を射たご意見と思いましたので、
私もこれ以上の議論をするつもりはありません。
ご理解いただければ幸甚です。