時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

カタカナと方言とチョコレート

2025年02月15日 | 時のつれづれ・如月 

多摩爺の「時のつれづれ(如月の50)」
カタカナと方言とチョコレート

たしか、1週間ぐらい前だったと思う。
ニュースを見ていた女房が突然・・・ 「スタックってなによ?」と聞いてきた。

「雪道でタイヤが空回りしてるから、身動きが取れなくなったってことだよ。」と返すと、
「じゃぁ、身動き取れないって云えば良いのに・・・ 。」と不満な顔して、
「去年の大雪の時、スタックなんて言ってなかっでしょ。」と続け、
「なんでもかんでもカタカナにすれば良いってもんじゃないのよ。」と、ご立腹の様子だった。

そう言われてみれば、スタックって言葉は知ってたものの、
ニュースでその言葉を聞いたのは、この冬になってからのような気もするので、
女房の指摘と立腹も・・・ 分かるような気がしないでもない。

うちの女房は思ったことを遠慮なく口にするもんから、けっこう面白いタイプだと思うが、
「面白い。」なんて言い返そうものなら、即座に「また上から目線で・・・ 。」とくるので、
お相手するのに、たまに難儀をするが、だから夫婦円満なんだと思えば、
「亭主関白」よりも「かかあ天下」のままで、要らぬことは言わぬに越したことはないと思っている。

新語というか、流行り言葉というか、日常的な会話というか、カタカナというか、
どうでも良いことに拘って申し訳ないが・・・ スタックつながりで、
最近よく耳にする言葉について、ちょっと面白いネタがあるので、紹介させてもらいたい。

2年連続でMVPを獲得したメジャーリーガーのペット(わんちゃん)の名前で有名になり、
ついでと言っちゃ可哀想だが・・・ すっかりオマケのネタになった「デコピン」だが、
本来は中指を曲げて親指で爪の先を押さえて、力入れておでこを弾くいたずらだと云うことは、
言わずもがなであって・・・ だれもが知ってることである。

そういったいたずらと、行為はまったく同じなんだが、
私が育った山口県下関市界隈では「デコピン」と言わず、「チャンチュー」と言っていた。

半島(釜山)へのフェリーが出ていて、交流が盛んな地域だから、
語源はそちらからかなと思いもするが
調べてみたら下関界隈の方言とあるだけで・・・ 詳しいことは分からないようである。

ひょっとしたら・・・ ある程度の年齢に達した、年長者だけが使っていた昔言葉であって、
令和の下関では「それ、なに?」ってことになってるのかもしれないので、
ムキになる必要はないんだが・・・ 私がヤンチャな時代を過ごした昭和の下関では、 
デコピン=チャンチューであって、チャンチュー=デコピンだったのである。

ついでにもう少し、下関で普通に喋ってた独特の言い回し(方言)を紹介すると、
雨や雪で道が泥濘んでいることを・・・ 「じるい。」と言い、
衣服に埃ついていたり、汚れていることを・・・ 「ほうとくない。」と言ってたし、
おならは出るとか、出すじゃなくて・・・ 「ふる。」が、全国共通の標準的な動詞だと思っていた。

40年前に上京して気づいたんだが、
長州人は長い間、大きな勘違いをしていたのかもしれない。
自分たちが話す長州の言葉は、明治維新を経て標準語になったと思い込んでいたんだが、
それは大きな勘違いであり、勝手な思い込みであり、みっともない驕りがあったのかもしれない。

「気づくのが150年遅いぞ。」と言われれば、穴があったら入りたくなってしまうが、
「でもさ。」とか「だからさ。」なんて小洒落た言葉は、
頭の中のどこを探しても見当たらないんだから・・・ こればっかりは如何ともし難い。

然は然り乍ら(さはさりながら)・・・ 山口県人同士の私たち夫婦の間では、
いまでも故郷言葉を使った会話が、日常的に飛び交っているんだから、
「秘密のケンミンSHOW極」の名物コーナーでもある、
「ケンミン刑事」にカマをかけられたら・・・ いとも簡単に御用になってしまうだろう。


ついでに昨日はバレンタインだったので、そのことについても少し触れておきたい。
ここ最近、年々小さくなってるような気もするが、女房は毎年チョコレートをくれるんだが、
昨日は、娘が仕事にでかけるとき、上着のポケットからなにやら取り出し、
「これ、義理チョコね。」と云ってくれたのが・・・ 写真の真ん中にあるチロルチョコだった。

知的障害があって、パンを製造販売する作業所に、
暑い日も、雨の日も、雪の日も休むことなく、電車とバスを乗り継いで通ってる娘が、
わずかな給料の中から買ってくれたプレゼントだから・・・ 言葉は素っ気ないが、
私にとっては、食べるのが惜しくなるようなプレゼントだった。

後で食べようと思って、冷蔵庫に入れていたら、
夕方、公文の帰りに寄ってくれた孫に見つかってしまい、
気がついたときには、包み紙だけがテーブルの上に置いてあった。

どうやら、いたずら小僧(5歳男児)にしてやられたようである。
ということで、残念ながら娘からのプレゼントは、私の胃袋に収まることはなかったが、
冷蔵の中になにがあるのかについて、瞬時に調査し判別する能力と、
意思決定から行動に移すまでの素早さが、学びの場で活きてくれればと願うしかないだろう。


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