多摩爺の「時のつれづれ(如月の46)」
企業・団体献金と小粒な正義感
103万円の壁や、教育の無償化など、政府と一部の野党の間での調整が始まっているが、
夏に行われる政治決戦(都議選・参院選)に向けて、今国会の議論の中心となるのは、
まだ本格的な議論には至ってないが・・・ やっぱり企業・団体献金の禁止に関する議論だろう。
裏金問題(パーティー券の販売に関する不正処理)に端を発して、
政治の腐敗に国民感情(怒り)が高まるのは・・・ 当たり前のど真ん中である。
とはいうものの、義憤に駆られて企業・団体献金を争点化するのは、分からんでもないが、
それが原因で、政策や社会が腐敗しているかのような論調を展開するのは、
誤ったレッテル貼りをしていると言わざる得ないし、政治の首を締めているような気がしている。
個人が納める党費や献金、さらには機関紙の購読などで賄ってる政党もあるにはあるが、
そもそもこの国には・・・ 個人が献金や寄付をしたり、
あるいは政党の党員になって党費を払ったりする、
政治的な文化やマインドが、あるにはあるが浸透してないのが現実である。
この国は民主主義を基調とする市場経済の社会だから、
企業や各種団体にも、政治的な主張があるのは・・・ 当たり前のど真ん中であって、
政治理念や、主義主張に基づく、個人の献金を認める一方で、
企業・団体からの献金を一律に認めないというのは、クリーンを隠れ蓑にした乱暴な主張だと思う。
個人であろうと、企業であろうと、各種団体であろうと、
政治に要望し、政治を監視し、政治に物申すのは・・・ 民主主義の権利である。
それで癒着が生まれ、利権の温床となるという意見があるのも承知してるが、
大変申し訳ないが、それは結果を見てから言えることであって、
政策を立案する段階で、関わる政治家に疑義が生じるというのであれば、
政策は省庁に雇われた・・・ 専門の学者に任せておけば良いということになりかねない。
よって、企業や団体からの献金を禁止するというのは・・・ いかにも分かり易いが、
やみくもに小粒な正義感を振りかざすことで、
結果的に立場立場から発する声が・・・ 遠くなったり、小さくなったりして、
政治にもの申せない社会になっていくような気がしてならない。
そもそも民主主義にコストは必要か不要かという、スタートラインに立ち返れば、
必要以上にカネをかけないという、正論はあっても、
全くもってカネは不要という正論は・・・ あり得ないはずである。
思うに・・・ 政権与党の肩を持つつもりなどサラサラないが、
企業・団体献金を廃止するよりも、
廃止するなら、税金が原資の政党交付金の方ではなかろうか?
国民1人が250円を負担する、総額でゆうに300億円を超える政党交付金を、
社会保障なり、少子化対策なり、防衛費に回した方がずっと賢いと思うがどうだろう?
ぐだぐだと能書きを垂れたが、この問題を客観視するなら、
企業・団体献金を廃止することではなく、
総ての政治資金の出と入りを、1円単位で透明化することを義務づけ、
その明細を公開することの方に大義があると思うが・・・ 如何なものだろうか?
おそらく、この議論は3月末に一旦結論を出したとしても、
通常国会の会期末が来るまで、延々と燻り続けると思われるが、
願わくは党派の主張を超えた微調整に、あらん限りの汗を掻いていただきたいし、
寛容の精神を、多としていただければと思う。
考え方や思いは人それぞれだから・・・ 満場一致で決まることはないが、
それでも、献金が政策にひも付くことを懸念するのであれば、
税金を使って第三者委員会を設置して、総ての国会議員の収支明細について、
その信憑性を事細かくチェックし、定期的に報告していただければ事足りるはずである。
そして、第三者委員会のチェックを受けて・・・ 弁明の余地のない、
政治資金の集め方や、使い方に疑義が生じる、不適切な処理が見つかった議員は、
相応の罰とともに、永田町や霞ヶ関から即刻退場していただければ良いだけのことである。
また税金を使って第三者委員会を設置しなくても、領収書を添付した明細を公開しておけば、
ヒマを持て余す大学の先生などが、厳しくチェックしてくれると思うが、
先生方の思想信条によって、チェックモレがでる可能性もあるので、
税金を投入して第三者機関を設置することは・・・ たぶん免れないだろう。
最後に・・・ 毎度毎度で恐縮だが、
本文はあくまでも、個人的な思いを綴ったものであり、
コメントを頂戴しても議論するつもりはないので、申し訳ないが了知願いたい。