時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

お婆ちゃんの遺作展

2022年03月27日 | 時のつれづれ・弥生 

多摩爺の「時のつれづれ(弥生の25)」
お婆ちゃんの遺作展

私は上京を含めて都内で3度引っ越しをしている。
上京してから最初の5年は都心の市ヶ谷(新宿)、次の10年はJR中央線より南の多摩地域、
その後は終の棲家としてマンションを購入し、北多摩(JR中央線の北)に住んでいる。

その理由は、娘に知的障害があることが分かってからだった。
悩んだ末、故郷へ戻らず、サポート体制が充実している東京に住もうと決めてから、
先々のことを考えて、満員電車に乗らず通学・通勤できるよう、住むところを探すことから始まり、
都心から二度の引っ越しをすることになった。

JR中央線の南に住んでいたときだった。
近所にお医者さんの娘さんご家族と一緒に住んでる、とっても品が良いお婆ちゃんがおられ、
私たち夫婦の親と年齢が近いことと、娘さんがお医者さんだったこともあって、
なんとなくお付き合いが始まり、女房はなにかにつけて、娘のことを相談に乗ってもらっていた。

当時は、お婆ちゃんは◯◯さん、娘さんは◯◯先生と呼んでたが、
◯◯さん、◯◯先生じゃ、ちょっと味気ないので、
ここでは、お婆ちゃんと、娘さんということで記させてもらいたい。

お婆ちゃんが、趣味で日本画を描かれていたことは、女房から聞いていた。
いつだったかな「趣味の日本画は、いつ頃から始められたのですか?」と問うたことがあり、
そのときにもらった言葉が、未だに忘れられないでいる。

「私はね、娘が初めて落書きをしたのを見たとき、とっても下手くそなんだけど、
 成長の過程での力作だと思ったから、とっても愛おしくて、そのままにしておいたら、
 その後・・・ 落書きが増えて困ってしまって大変でした。」と笑いながらお話をされ、
「落書きだけど、作品だと思える感性があれば・・・ 絵画に馴染む一歩になるかもしれないし、
 人を慈しみ育てる一歩かもしれませんね。」と続けられ、絵を描くこととの出会いを話されていた。

この言葉を聞いたとき・・・ 思わず、ハッとしたことを思い出す。
人を見る視点、人を思う視点、人を慈しむ視点が・・・ 私とは違っていた。
自分の頭のなかに全くなかった視点が、この人にはあって、私にはなかったことに気がついた。
これは衝撃的で・・・ この時のことは、未だに忘れられないでいる。

そんなお婆ちゃんの日本画を、是非とも拝見したかったのだが、
いつかはの思いが叶わぬうちに・・・ 私はマンションを購入して、北多摩に引っ越してしまい、
その後は、年賀状だけのお付き合いになってしまった。

引っ越してから、20年の歳月が流れた昨年1月、娘さんからいただいた寒中見舞いには、
優しかったお婆ちゃんが・・・ 94歳で霊山に旅立たれたと、
とっても残念で、悲しすぎる知らせが記されていた。

せめてお線香でもと、思ってはいたものの・・・ 時はコロナ禍で遠慮せざるえず、
大変申し訳ないことに、いつしか記憶から消えてしまっていた。

そんなところに・・・ 今月上旬、思いがけず娘さんから葉書が届き、
高円寺のギャラリーで、お婆ちゃんの遺作展をやるので、是非にとのお誘いをいただき、
早速ギャラリーにお伺いし、これまでの不義理を詫びるとともに、
ずっと拝見したいと思っていた、お婆ちゃんの日本画をやっと鑑賞させていただくことができた。

これはご本人から聞いてた話だが、
若かった頃に離婚を経験されたお婆ちゃんは、薬剤師をしながら女手一つで娘さんを育てている。
薬剤師といっても、戦時中だから、学校に行ってお芋を作ってただけで、
よく卒業できたし、資格もいただけたと謙遜されていたが、相当のご苦労をされたことは察しがつく。

娘さんは、期待に応えて医学部を卒業されてから、
勤務医を経て・・・ 自宅近くの駅前で開業されている。
訪問した日が、土曜日だったこともあって、ギャラリーにいらっしゃったので、
女房は娘さんと、お婆ちゃんの在りし日を偲びながら、思い出話に花が咲くこととなった。

また、当時は小学生だった、とっても可愛かったお孫さん(娘さん)も医学の道へと進まれ、
現在は6歳と2歳の子供を育てる・・・ とっても頼もしい女医さんになられたそうだ。

「戦争もあったし、離婚もしたし、私の人生は苦労ばかりだったけど、
 還暦を過ぎてからは、不思議なくらい楽しくなったのよ。」と言いながら、
「男運はなかったけど、遺伝子には恵まれたのよ。」と笑っておられたことを思いだしていた。

そして・・・ 小一時間が経ったころ、ビックリすることに、
娘さんから「好きな絵を一つ貰ってほしい。」との、
サプライズ提案をいただいたので・・・ 本当にビックリしてしまった。

もちろん遠慮したが・・・ このあと、自宅に持って帰っても、倉庫で眠るだけだから、
母と縁ある人に貰っていただき、玄関でも、リビングでも、どこでも構わないので飾って貰えたら、
母もきっと喜んでくれると仰るものだから・・・ つい甘えてしまった。

いただいたのは・・・ 山桜の頃」と題した逸品で、
黄昏が迫る秩父の山々を背景にして、満開の山桜を描いた、この時期にピッタリの秀作である。

展示されているどの絵も、みんな素晴らしかったのだが・・・ 「山桜の頃」は、
私が知る限りの日本画の特徴(写実的でなく、色調が薄く、輪郭線がある。)があるだけじゃなく、
絵を描いているお婆ちゃんの姿などが想像できて・・・ なにかしらビビッとくる作品だった。

着払いでの宅配をお願いしたが、それも母の大事なお友達だから、任せてほしいと言われ、
3000円程度の手土産じゃ、全く釣り合わない事態になってしまい、
ギャラリー内で、押し問答するわけにも行かないことから、
甘えさせていただくことになってしまったが、迷惑をかけてしまったことを深く反省している。

いつもニコニコされている、どこにでも居るような、普通のお婆ちゃんだったが、
これからは「山桜の頃」を見ると、
いつも娘の成長を気にかけて、優しい言葉をかけていただいた、
ご近所のお婆ちゃんがいたことを思い出すだろう。

縁とは不思議なものである。
人間には親や兄弟など以外に、恩師や学友、幼なじみ、
さらには、ご近所の方々など、自分自身が気づいてないだけの忘れ得ぬ出会いがあり、
自身の成長の過程で・・・ 影響を受けた人々、お世話になった人々が数多いる。

そういった方々に縁し、いただいた恩を、忘れない人間であらねばと思うとともに、
自分もまた縁を大事にしながら伝えてゆく・・・ 影響力のある一人に成長せねばと思う。

亡くなられてから、既に1年と4ヶ月が経ってしまったが、
改めてお世話になったことに感謝するとともに、心よりご冥福をお祈りしたい。
ありがとうございました。


「山桜の頃」との表題がついた日本画をいただいた。
ギャラリーで写真を撮ったときは気づかなかったが、ケータイカメラを構える自分が映ってしまった。

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4 コメント

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Unknown (けいこ)
2022-03-27 07:13:23
おはようございます。
朝から素晴らしい心暖まるお話を拝読させていただきありがとうございました。
お人柄がしのばれました。
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Unknown (多摩爺)
2022-03-27 07:53:29
けいこさん、恐縮です。

お医者さんのご家族であり、悠々自適なご家族でしたが、けっして偉ぶることなく、自然体で世間話ができる素敵なご家族でした。
人との出会いを大切にしなきゃと、つくづく思いますし、良い人たちに巡りあったなと思いました。
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Unknown (yukota)
2022-03-27 22:15:09
こんばんは♪
とても素晴らしい絵で、魅入ってしまいました✨
そして、素晴らしいお話しを拝見できたことに感謝しています🌼
素晴らしい有り難いご縁があっての、今の自分なので、改めて、いただいた恩を、忘れない人間でありたいと思いました。
いつも素晴らしい記事をありがとうございます😊
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Unknown (多摩爺)
2022-03-28 06:36:12
yukotaさん、おはようございます。

出会いって、人間社会で暮らしていくうえでは、本当に大切なことだと思います。
人と人との出会いを邪魔するコロナとロシアは、1日も早く退散してほしいと願っています。
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