時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

第三の勢力という価値

2020年09月19日 | 時のつれづれ・長月 

多摩爺の「時のつれづれ(長月の9)」
第三の勢力という価値

解散風が吹いている。
菅義偉内閣がスタートし、各大臣がエンジン全開で張り切ってる様子が、
ワイドショーやニュースに取り上げられ、
内閣支持率も60%を超えるなど、好感度と期待値が高いことを受けて、
この支持率だから・・・ といった具合で、総選挙を期待する声が後を絶たない。

そんな・・・ 自民党の総裁選挙の裏では、
国民民主党に所属していた議員の多くが、同党と袂を分かち、立憲民主党に呑み込まれ、
左派政党へと大きく舵をきった旧民主党が復活し・・・ こちらも、リスタートを切っている。

だれの目にも、大きな塊で選挙に挑む「選挙互助会」だということは明らかだが、
一つの見方としては、野党が強くないと国会に緊張が無くなってしまうので、
それはそれで仕方ない部分もないではないが、
旧民主党と大きく変わったことは、首班指名で共産党の支持を受け、
選挙においても共産党と手を握ったことだろう。

強い野党という言葉に秘められた、本来の意味は、
けっして、揚げ足取りが上手いということではないと思うし、
ネチネチと、しつこく何年も同じことに執着することでもない。

国民のために、いまなにが求められているのか?
政府が進めようとする政策に対して、対案を示して論戦を挑み、
その落としどころの主導権を握ることだ。

そもそも、それは・・・ 保守でもない、リベラルでもない、中道という第三の勢力の役割だった。
中道(第三の勢力)とは、右と左の真ん中を意味するように思われるが、
実はそうではなく、一般的にいう是々非々を目指す政党のことであり、
世論を二分するような案件が生じ、与野党が対立した場合は、そのどちらの側にも偏ることなく、
国民の声はどちらを支持しているのか、
理に叶った議論で、常識に叶った結論をさがし導く考え方である。

30年ぐらい前には、その役割を公明党と民社党が担っていたと思われるが、
1996年に、政権交代が可能な二大政党を目指すとした、
この国の選挙制度を大きく変える政治改革が行われ、
選挙制度が、中選挙区制から、小選挙区比例代表並立制に変更されたことにより、
小選挙区で戦うには、あまりにも選挙基盤が弱すぎる二つの中道政党が、自らの価値を訴求するには、
保守(右)か、リベラル(左)か、どちらかの政党と連立を組むか、
合併して妥協点を探るしかなくなってしまった。

唯一の例外は、政治改革以降にできた維新のように、
特定の地域で強力な支持基盤を持つローカル政党だが、
難点は、特定地域以外で勝つことが厳しく、勢力拡大という課題を克服することが困難で、
国会内での「数は力」の法則から質問時間も限られ、
是々非々の姿勢をアピールするチャンスが少なくなることだろう。

もう一つ、この国特有の考え方というか捉え方に、
リベラルという言葉と、その本質に大きな勘違いがある。

本来、リベラルとは自由主義という意味のはずだが、
この国では、左系の政党がリベラルとされているから・・・ ややこしい。

リベラル=自由主義の言葉どおりに捉えたら、野党より自民党の方がよほどリベラルであり、
個人的には、社会主義を目指す共産党と選挙協力し、政権奪還を目論む政党が、
リベラルの看板を掲げるのは、間違ってると思うし・・・ 違和感を覚えるがどうだろう。

言葉遊びをするつもりはないが、
この国では左派勢力が、耳触りの良いリベラルという言葉を定着化させてしまった。

よって、政権選択の総選挙で、共産党の支持を受けたリベラル政党を選択するということは、
リベラルという、響きの良い言葉に隠された、
社会主義的な考え方を選択するということを知っておいた方が良いだろう。

とはいえ、総選挙の結果は国民の総意だから、
そちらを選択することがあっても、何ら問題があるわけじゃないが、
外交や経済のみならず、多くの社会システムで相当なリスクを負うことを覚悟せねばならない。

前回の政権交代の時、共産党は政権内にいなかったし、閣外協力もしてなかったので、
そこに一つの安心感もあったと思うが・・・ 今回は選挙協力を宣言しているし、
そのための布石として、臨時国会の首班指名選挙では、野党第一党のトップに投票している。

よって、仮に政権交代が起こった場合、政権内に共産党がいてもいなくても、
閣外協力だったとしても・・・ 支持を受けている限り、その影響は無視はできないだろう。

自分の政治的な思考は、案件ごとに少しだけ、右に行ったり、左に行ったりしていて、
政党や政策集団に例えれば、自民党宏池会(岸田派)と、
連立与党の公明党の狭間に位置していると思うし、
維新の会や国民民主党が担おうとしている、第三の勢力という是々非々という立ち位置にも近い。

二大政党による政治について思うのは、イエスかノーで決まり、
原案の一部を修正したことなどが見えないところにある。

結論が早い、結論だけで良いといえばそれまでだが、
中道と呼ばれる第三の勢力は・・・ いったい、どう考えていたのか?
それを聞いてみたいと思うこともあるが、いまの国会にはそれが見え辛いことが残念で堪らない。

もとい、見えているのかもしれないが、
スキャンダルの攻防があまりに多すぎて、現実的には大事な議論が見えていない。
スキャンダルは置いといて、国民のために必要な論戦を挑む、
第三の勢力の客観的な声を、聞いてみたいと思うが・・・ どうだろうか?

そろそろ・・・ 二大政党制という、夢物語から目を覚ますべきだろう。
二者択一の対立軸が、共産党の支援を受けた政党じゃ、
もうそれだけで・・・ 恐ろしくて堪らないし、勘弁してほしい。
いまの中国や、北朝鮮には批判的であっても、思想的な根っこは変わらない。

まさか、まさかだが・・・ 二大政党の一方が、
共産党と手を組んでまで、政権交代を訴求するとは思わなかった。

国民が望む二大政党とは、本当にそういうものなんだろうか?
政敵を倒すことだけが目的となっていないだろうか?
意地になって、やけになって・・・ 政治をしてほしくないし、言論の府に立ってほしくない。

そう言った意味では、新たな国民民主党の立ち位置には、期待したいと思ってたが、
首班指名選挙で、自らの党のトップではなく、
共産党とともに野党第一党のトップに投票したというのだから、
正直言って「なにやってんだ!」とガッカリさせられてしまった。

まだまだ、信用する粋には達してないと言わざる得ないし、
騙されちゃいけないと痛感する。

多様な意見で、丁々発止の論戦を繰り広げる、国会審議が見てみたい。
第三の勢力の価値を再認識すれば、
多様な意見を持つ志がある候補に、活躍できるチャンスを与えるためにも、
死票が少なくなる、中選挙区制に戻すことも・・・ ありなんじゃなかろうか。


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