ZEROからはじめる日記生活

大好きなのは「わんこ」「草花」「本」様々なアレルギー・病気とともに闘病今はもう犬飼えないし…今出来る事って?を考えて…

やっと一息つけた(仕事は)

2019-03-19 23:53:35 | 日記
年末から途切れる事がなかった仕事がやっと一段落した。
友人から借りた本を返さなきゃと思って、隙間時間は読書した。
運が悪い事に、図書館にいつだったかだいぶ前に予約していた本も
順番がまわってきた。
これも2週間で読まなければならない、でもすごく厚い・・・。

友人から借りた本は、読み終わって2日前に返せたけど、
図書館の本は、半分読んだけど、読み終わるかなぁ。

読みたい本は沢山あって、「積ん読」中?
死ぬまでに読みおわるかしら?と時々ふと思う。

今読んでいるのは「蜜蜂と遠雷」だが、私も昔
ピアノを習っていて、色々あって、今では人前では
簡単な曲であっても、指が震えて弾けない。
時々思う、それでも頑張っていたら、乗り越えられたんだろうか?

読み始めて最初の頃は、作者と曲の解釈が違うんだろうなっていう部分が
気になって仕方なかったけれど、不思議な事に、読んでいて
登場人物の性格とかがわかってくると、文章にどう書いてあっても
私の頭の中には、音楽が聞こえてくる。
ちょっとだけ心が痛くなったり、大好きな曲に癒されたり。

この作家の文章は読みやすい。
この人の本を読むのは2作品目だけど、前もそう思った。
最後の方のページに、作者の事が書いてある。
「六番目の小夜子」でデビュー。なんだか覚えのあるタイトルだな。
教育テレビでやってたやつかな?今度読んでみようかな?と思う。

2日前に読み終わったのは、ジーブスも2・3冊(?)あります。
という事で購入したという本。(わかる人にはわかる?)

私の机には、イシグロさんとヘッセなどがあり、また先日別の人からお借りした
海の島などもあります。

こうやって、あえて、タイトルと作家のセットでは言わない
(という意地悪を一人楽しんだりして・・・きっとわかる人にはわかるし。)

本を読んでいると、悲しいような気持ちがすっと消える。
でも足元に目をうつすと、すぐそこにあるような気がする。

私はきっと、疲れてしまったんだ。仕事をすこし、セーブしないと。









悲しい気分

2019-02-25 22:32:17 | 日記
この冬は、なんどか風邪を引いています。
それでも、1週間~2週間で良い状態まで持っていき
治りかけたかな?というタイミングで、また引いてしまう。
ぶりかえしてるのかも?

まあ、なんとも言えませんが、ともかくあまり重くならないながらも
繰り返し風邪を引いて、寝込んで・・・を繰り返している。


ふと、気が付くと、
なんだかとても疲れていて、
そうすると、とても悲しい気分になっている。

もしかしたら、精神的な何かで疲れてきているんだろうか?
と思って、周りの人にも、ちょっとそんな話をしてみたりしています。

話す事で、ちょっとだけ気持ちが楽になるんじゃないかって?


実際、それでちょっと良くなる気もする。

それでも、また疲れると、また悲しい気持ちになる。

こんなので大丈夫なのか?とちょっと心配にもなる。

今月も通院したら、主治医から、なんか最近あまり良くないから、
なるべく休むようにと言われた。

どこかのタイミングで、もう少しちゃんと休まないと。という気持ちになる。

そんな毎日が続く。




過労 動脈血と静脈血との酸素量の差

2018-12-07 08:16:54 | 日記
この所は月一回の通院のたび、過労と言われてなるべく日中寝られる時は寝ているように言われています。

自覚症状としても、日常の中で疲れが取れずにいる感じで、背中に痛みが出ています。

この症状は何年ぶりだろうか?
ぜん息?というより、呼吸不全の方の状態が悪い時に感じる症状でもあります。

この後にまたぜん息が悪くなるかも知れない・と思っていると、風邪を引きそうという症状が出始め(喉に違和感)そのうちに、時々、急に痰があがってくる(汚い話ですみません)。

ああ、これはぜん息にも影響ではじめている。この段階で無理せず、予防でネフライザーとかもしておくといいんだと思う。

仕事は新規の依頼が来ていて2つ程受けてしまったばかり、年末年始にかけて休めないかも。
金銭的余裕ないし、フリーランスだから体調を理由に休めない。
これが悪いんだよなぁとは思うが、一日の中で休む時間を少しでも確保しないとと思う。

タイトルに書いたが、動脈血と静脈血にある酸素量の差があまりない状態が起きているらしく、こういう時はいつもこの疲れが来る。
在宅酸素療法をしていて、酸素をしたままで(動作しなければ)取り込めている酸素は60代と、これが悪いというのは調子よければ90代の数値はいく、更に使われないで出て来ている酸素は40代とどうやら、これも高いらしい・・・それがあまり理解できてないが、悪い時はこの位の値になるのは、これまでの経験でわかってはいる。
ただ、そういう人があまりいないらしく、そういう呼吸不全は呼吸器科の先生でもあまり理解されてないらしい。これも先生の話。先生は日本ではぜん息治療でも有名な先生ではある。
先生が医師をやめてしまったら、私はどうなるんだろう・と時々思う。

それはバセドウ病の方の主治医も同じ。バセドウの方も、アイソトープ治療をしているのに甲状腺は大きく甲状腺の方は結節性甲状腺腫もあり、これもめずらしいらしく、甲状腺眼症に影響するホルモンの値は発症からすでに5年以上たっているのに、いまだに高い、心臓にも病気という事ではないまでも問題がない訳でもなく麻酔で大きく血圧が上昇してしまう(歯の治療時など)けれど、逆に運動で徐脈がおきたりする(50代になったことも、意識がもうろうとする)それで、もし今後、甲状腺の方で手術が必要になった場合、可能かどうかは医療機関とその時の状況によるらしい。
甲状腺の方の主治医にしても、その時に現役でいるだろうか?先のことを考えると不安になる。
でも、仕方ないかも知れない、それが寿命なんだと思うし。
それで、私は今なぜ頑張っているんだろうと思う。ずっと働いてきて、でも今経済的に困っている・何かの罰なのか?と思う事すらある。
それでも信頼できる友達もいて、家族もいて、メールは結構くるしお誘いもあるし、まだ好きな読書や本の話をする仲間もいる。利害のない新しい友達も時々増える。良い方を考えれば沢山ある。
そうやって人生の決算はトントンなのかも知れない。

少しお休みをしながら、時々続きを書いて行こうと思います。


過労・呼吸不全・酸素があまり使われない・らしい

2018-11-19 11:37:17 | 日記
一昨日は、通院でした。

気管支ぜん息と呼吸不全のある私、でも、見た目はぜん息とは思われないし、ましてや、ぜぃぜぃはーはーしてないから重症ぜん息には見えない。
(他にも色々病気あるけど、いちいち書かないでもいいよね)

それに、この所発作も出てないしね。

だけど、先生から言われたのは、「過労」だから、もう少しゆったり生活するように・と。
せっかく、ヒトIgEモノクローナル抗体製剤「ゾレア」で重症喘息治療をしているのに(そろそろ1年)・・・とも言われました。「ゾレア」のお陰か、ぜん息だけでなくアレルギー系の症状は色々良くはなったのだけどね。

甲状腺クリーゼの後、下肢も障がいで、あまり動き回れなくなったせいか、呼吸機能の方への負担は少なくなって、少し楽になっていたんだけど、風邪が長引いたせいか、またこの所よくない傾向、どうやらぜん息というより、呼吸不全。
酸素が、あまり使われないまま静脈に残っているよう。
酸素療法をやってはいても、動脈血の酸素量は60代で、静脈は40代だ。どの程度の問題なのか今はあまり理解できていない、が私の感覚では、疲れやすい・疲れが取れない・目が回りやすい・昼間仮眠してちょっとすっきりしても、またすぐ疲れる。発作こそ起きないけど、時々息切れするし、持病の不整脈のドキドキを時々日中でも感じる。これってよくない時の体感だと思う。去年数年ぶりにかかった循環器でも、どうやら検査結果は、悪いという程ではないけれど、各日に数年前よりは、悪い。病気という程ではなくても、正常ではない。これはきっと呼吸機能の影響だと思う。

私は、それで、人ってやっぱりいつかは死ぬんだな。衰えていくんだな。
病気がある・なしではなく、それが自然なんだと思った。
私はこんな風に、目に見えて数値で衰えていく自分を俯瞰できるだけ、もしかしたら幸せなのかも知れないとも思った。

沢山色んな事を、書いておきたいと思う。もしかしたら、後で、は時間ないかも知れないから。

とは言え、身体があまり自由な時間を許してはくれないらしい。
だから、この日記にしても、出来る時に出来る範囲で書きたいと思っている。



父と車2. ~父が車を手放すまで(焦らす事で運転ミス)~

2018-11-19 11:03:21 | 両親
少し、時間があいてしましたが、父と車2.父が車を手放すまで(焦らす事で運転ミス)を書きます。

この話を書く前に、運転している人にとって、運転に集中できる事が安全運転・運転ミスをなくすためにとても大切だと気がついたあるテレビの実験映像を見た話を書きます。

それは情報バラエティ番組での実験でした。
その実験から、運転手に対して運転を急がせたり、暴言に近い言葉で話しかける等で、極度にイライラさせる事で、運転操作ミスをしやすい事がわかりました。

それでは、それを前提に父が車を手放すまでの話を書きます。


父と母があちこちへドライブを楽しむようになったのは良かったのですが、そういう中で、母が頻尿の症状が出るようになり、恐らく病院へ行くのは恥ずかしい気持ちもあったし、元々病院嫌いの父の影響もあってか病院へ行ったり何か対応する事もなく、頻繁にトイレに行きたくなっても、喉が渇けば車中でも飲み物を飲むし、トイレに行きたければ、すぐに父に言って、コンビニ等でトイレを借りるといった状態で、ドライブを楽しんでいたそうです。

そんな中、近くにコンビニもなくトイレに行きたいと言われても、寄れる施設がなく困っていた父が、あれは何かの商業施設のようだと思って入った所は、ゴルフの練習場だったそうです。
コンビニとは違い、そういった施設のトイレを借りる訳にはいかないと、施設を出ようとした所、母はもう我慢の限界と思ったようで、早く早くもう我慢できそうもないとせかしたようです。父は急いで施設を出て、車道に戻ろうとした所、低いガードレールと植え込みがあるのが運転席から良く見えなかったらしく、車の横面を派手にガードレールで傷つけてしまいました。

車は、母に言われて数か月前に新車を買い替えたばかり、運転操作が古い車とは少し違って

、発進にも少し手間取りもたつくようになっていて、母の言葉で気持ちも焦っていたのでしょう。
私は、その話を聴いて、まだ物損だったから良かったものの、危ないなぁと思いましたが、そうやって意図せず焦らせてしまった事も原因の一つではないかと思い父にも母にも何を言うにもどちらかは傷つける言葉になりそうで、何も言わずに聞いていましたが、話を聴いた人は皆、もう車は乗らない方が良いのではないかと言うようになりました。

父もそれに懲りたのか、その後は母とは必要最低限の外出以外で車に乗らなくなって行きました。

その時、隠居してこれからは母とこれまで出来なかった旅行等に行きたかったけれど、母が嫌がって近場にドライブに行く生活になっていて、収入は年金や商売をしていた時の貯金だけでしたから、数十万という修理代も大変で、色々精神的にはショックだったと思います。
父は、最後は小売店(お店)のみ営んでいましたが、元々は卸(問屋)で車は毎日運転していましたが、運転免許はゴールド(無事故無違反)という事を自慢していた事もあり、免許には反映されない事であっても、自分の運転でそんな派手に車を傷つける事になるとは思ってもいなかったと思います。

---つづく---