6月25日叔母(父の姉)が亡くなりました。
危篤から九日程頑張ってくれましたがとうとう天に召されました。
叔母とは幼い頃から大事にしてもらい、思春期になればいろんな話しをきいてもらい、私に娘たちができたら我が孫と同じように可愛がってもらい・・・
穏やかで優しい人でした。
1年の間に母が亡くなり、叔父が亡くなり、叔母が亡くなり・・・
少しずつ頼れる存在がいなくなります。
6月25日叔母(父の姉)が亡くなりました。
危篤から九日程頑張ってくれましたがとうとう天に召されました。
叔母とは幼い頃から大事にしてもらい、思春期になればいろんな話しをきいてもらい、私に娘たちができたら我が孫と同じように可愛がってもらい・・・
穏やかで優しい人でした。
1年の間に母が亡くなり、叔父が亡くなり、叔母が亡くなり・・・
少しずつ頼れる存在がいなくなります。
今日から娘がグループホームへ勤めることになり、前日は買い物の帰父と娘と私とで勤務先をこっそり見に行きました。
父にも説明したけれどすぐに忘れると思っていたら
ナント!!
娘が仕事から帰ると
「どうだったか? 初めての仕事は?」
娘は覚えてることに驚いたのと、父の優しく聞いてくれたことにも驚きがあったようで感動したみたいです。
今まで、何を話してもすぐに忘れてしまってたのに、なぜか前日勤務先を見に行ったことも覚えていました。
孫はかわいいと言いますが、やはりかわいい孫のことが心配だったのでしょうか。
覚えてると言えば、先日も近所のおばさんが腰を痛めて入院したのでおじさんの食事を持って行ったりしてると父に聞かれ、おばさんが入院したことを話しました。
おじさんに近所の人には内緒にしておくように言われたのですが、父に話してもすぐに忘れるから安心していたら・・・
ある近所のおじさんが
「最近、〇〇さんのおばあさんが見えんなぁ」
というと
「娘や孫がお見舞いにいかないかんとか言うてたから入院しとるわ」
ってバラしてしまったようです。
覚えることと覚えないこと、何が基準になってるのかさっぱりわからん(^_^;)
4月に叔父が亡くなったばかりだというのに、叔母が危篤状態に・・・
従兄弟から連絡があり父や娘たち、近くの叔母たちと車を走らせました。
叔母のベットの周りにはいろんな医療機器が・・・
肺炎で呼吸も苦しそうで見ている私たちも辛くなりました。
叔父が亡くなった時、叔母の様子を見て早いうちに叔母に会わせておいた方がいいのではと思っていて、田んぼが終わったら父を連れて行こうと思っていた矢先でした。
叔母達の中でも一番親しくし、娘たちも孫のように可愛がってもらっていたので本当に悲しいです。
母を亡くし、叔母までも・・・
帰りの車の中で・・・
夜中の車中だったので、父もウトウトしていたのですが、ハッと目覚め車の中をキョロキョロしはじめました。
「じいちゃん、どしたん?」
「あれぇ??? どこいっとった?」
「松山よ」
「誰か悪いんか?」
「おばちゃんが危篤で見にいってたんよ」
「わしは知らん」
「じいちゃんも行ってたんよ」
運転席を見て
「ふうん・・・これは誰? さくら(私の名前)か?」
「違うよ。誰が運転してるん?よく見て」
「・・・・・・・」
「〇〇よ」
「〇〇か」
「〇〇はじいちゃんの何になるんだったっけ?」
「むすめ」
「違う、孫よ」
こんな感じで一緒に行っている者の名前も関係も出てこなかったり、叔母のお見舞いに行ったことも話しの最中で何度も忘れ、家に着くまでそれを繰り返し、家に着いても何も覚えていない自分が不思議でずっと質問攻めにあっていました。
やはり、少しでも環境を変えるとパニックになるようです。
それでも、姉に会わせてあげておかなければと思ったのですが間違いだったのでしょうか・・・