5月13日、映画「シン・ウルトラマン」が公開された。
情報公開から早3年近く、ついに観ることができたといった感じだ。
世間での話題性や注目度も抜群なこの作品、僕も大いに期待していた。
現時点で自分は、既に3回鑑賞している。公開から随分経ってしまってはいるが、感想を書いておきたい。ネタバレ注意。
所感としては、かなりよくできた作品だった、と言いたい。
僕自身、鑑賞前からこの作品に期待していたのは間違いないが、全体のイメージとしては、通常のウルトラ作品とは明らかに毛色が異なることは間違いなかった。
より「大衆受け」を狙っている印象を受け、実際それは事実ではあると思うのだが、そこから少し懸念していたのがそれを重視する故に「ウルトラマン」という作品から多かれ少なかれ逸脱してしまうことだった。別作品でそのような実例を知っていたからということもある。
しかし実際には、しっかり「ウルトラマン」を感じることができたのだ。
かつ、現代社会に初めてウルトラマンが現れたというコンセプトも十分すぎるほどよく描けており、リアリティと「空想」(ファンタジー)はここまで無理なく融合するものなのかと一種の感動すら覚えた。
大衆受け、ウルトラマンの世界観、リアリティ…あらゆる点がバランスよく見事に並立しており、よくぞここまでやってくれたと感じた。
全体のプロット自体も基本は初代「ウルトラマン」を概ねなぞっており、各禍威獣・外星人のエピソードや特性も(当然完全にとはいかないが)オリジナルを踏襲したものになっておりとても心地よかったし、細かい描写やネタも「おおっ」となるものや思わず笑ってしまうものなどまさに抜かりなしだった。
冒頭から怒涛の展開だった。前日談として「Q」がある設定まで引き継いでいたとは(本家では仄めかされる程度で後の作品で明確になった部分はあるが)。次々と画面に映る新デザインQ怪獣たちに、聞いてないぞ!という驚きと同時に興奮も止まらなかった。
その後も、ネロンガ、ガボラ、ザラブ、メフィラス、そしてゼットン…
早いうちから公開されソフビも売られたネロンガやガボラは一部にすぎなかったのだ。名キャラクターたちによる馴染み深くも新しいドラマは、とても見応えがあった。
現在まで人間は地球外の生物と交信も交流もできておらず、そういったものに関することは未だに「空想」でしかないのが現実である。そうした中で宇宙人と人間の関係性は、侵略・征服であったり、友好であったり、はたまた多くのウルトラマンに見られるように防衛であったりといったものが多かったが、シン・ウルトラマンではそんな(言っちゃ悪いが)単純なもので説明がしきれないものが並んでいた。我々人間とは、地球とは何なのか…宇宙や外星人といった大きな観点から、普段考えもしていなかったことを考えさせられた。
禍威獣についても同様に現状空想の域を出ていないが、我々と同じ生物、動物でありつつ「脅威」であり「災害」であるということがありありと伝わってきた。
ネロンガ・ガボラ:ビジュアル的にも王道に近いし、怪獣としての特性も比較的はっきりしているので、こうして考えるとピックアップされるには適任だったなと思った。パゴスとの関係性など知っていれば面白いポイントもあって良かった。
ザラブ:新鮮な印象もしっかりありつつ、実はビジュアルは結構面影を残し、かつ流れとしてもかなりオリジナルの「遊星から来た兄弟」を踏襲しているなと感じた。BGMも相まって、これぞウルトラマン!というように感じることができた。イメージは保ちつつ体の後ろ半分が透明になっているというのは度肝を抜かれたような感覚があり斬新でなかなか良かった。細かい部分を言うと、にせウルトラマンにチョップしたウルトラマンが痛がるくだりまで再現してくれたのは嬉しいと同時にちょっと笑ってしまった。津田健次郎さんもオリジナルのイメージにも近くハマり役だった。
メフィラス:一際インパクトがあったと思う。メフィラス星人はシリーズ全体でもかなり好きな宇宙人で、出てきてくれたのがまず嬉しかったし、頭脳派で一風変わった魅力を持っているという「メフィラスらしさ」が健在なのも好印象だった。ルックスは大胆に変えてきたなとは思ったがちゃんとメフィラスだとわかるしすごくかっこよくて好みだ。暴力を好まない、人間を巨大化させる、ウルトラマンと決着をつけずに去っていくなどはオリジナルとも共通しているが、根本的な目的などは結構違っており、その目的を禍威獣出現の要因とも関連付けてしまう(何故日本にばかり現れるのかという特撮にありがちなツッコミどころに説明づけてしまう)のもうまいなと思った。
所謂「メフィラス構文」も妙に使い勝手が良く、自分も使ってみたくなる。
ゼットン:一番驚いた。実を言うとゼットンは一番好きなウルトラ怪獣。出てくるとも思っていなかったし、それもまさかこんな形で出てくるとは…。「ラスボス」「別格の風格」「1兆度」「ゾーフィが操るという放送当時の誤認に基づいた設定」これら全てをここまで無理なくまとめ上げるのは見事と言うほかない。改めて見れば大きさも設定もビジュアルもだいぶ違うのに、「ゼットン」としてほぼ違和感がないのは不思議なものだ。
シン・ウルトラマンならではの特徴は数多あると思うが、中でも個人的に重要なポイントだと考えているのが、「ウルトラマンが"ヒーロー"ではないこと」である。(「神」には形容されていたが、これもあくまで形容である)
ウルトラマンは初代から現在に至るまでほぼ例外なく「ヒーロー」であり続けてきた。だが、本作は違った。ここではウルトラマンは宇宙警備隊のような組織に所属しているわけでもないようだったし、あくまでも1人の宇宙人、外星人としての存在であることが強調されていた。文字通り、人間を好きになったある「宇宙人」を描いた物語なのだ。だから、前半人間側から見ての「未知の存在」としての描写も自然かつどこか新鮮味もあったし、後半彼自身の心情が明かされていく部分も、あくまで1人の生物であるが故のものを感じて一種の感情移入ができた。
本作は考察要素だとか、受け手の想像に委ねられている部分も多い作品だったように思う。個人的には、ウルトラマンと融合した後の神永の意識や記憶はどの程度残っているのかという点が気になった。原点のハヤタとウルトラマンの関係性でも曖昧だったところだ。見たところ、神永は死亡して完全にウルトラマン(リピア)の意思で動いている(融合しているため神永の記憶も問題なく使える)ようにも見えたが、劇中描かれなかっただけでハヤタとウルトラマンが一体化した時のようなやりとりがあった可能性も否定はできないし…。そしてラストシーンで覚醒した神永(つまり分離後)の意識や記憶がどうなっているのか。やはりこれはあえて描かなかったのだろう。こんな風に想像を掻き立てるところが、惹かれるポイントにもなっていると思う。
本作は「特撮」作品としても非常に魅力的で、戦闘などのシーンはどれも迫力満点であった。これだけでも、映画館に観に行く価値は十分すぎるほどにある。また自分は3回目は初めてMX4Dにて鑑賞したが、こちらも想像以上の演出で、結構びっくりしてしまった。1作品しか観ていないのにこういうことを言うのもなんだが、これほどMX4Dに向いている映画というのもそうそうないんじゃないかとさえ思った。
つきつめて言えばこの映画は、ちゃんと「ウルトラマン」が好きな人が作っているんだ、ということを感じた。
シン・ウルトラマンは現在、興行収入も伸び作中のセリフ等もちょっとしたブームになるなど、ヒットを飛ばしているといっていい状態となっている。ウルトラマンを名乗りつつウルトラマンからかけ離れた作品だったら複雑な感情を抱くことになっただろうが、シン・ウルトラマンは間違いなく「ウルトラマン」であったため、素直に喜ばしい。
ここ数年、ウルトラマンはコンテンツとして好調な状態が続いていて、ファンとしても嬉しいものだ。もうすぐデッカーも始まるし、今後の動向もますます見逃せない。
僕は初代「ウルトラマン」をまたちゃんと観たくなってきた…。
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