
それが自分の心に刺さっているけど、自分と外側の境界線や、自分と内側(魂)との境界線で混ざり融合していくか、刺さった矢や針を自分で抜いて行かないといけないですねという話でもありました
その矢というのは知らず知らずに自分に向かって来た矢とか自分で自分を傷つけている矢という事でもありました
生まれてきて今までで体験によって解消してきている部分もあるけど、未だに刺さって残っているものもある
心に刺さっている、心に引っかかる、気になる、気にかかる、悩みだったり、問題だったり課題だったりする事ですねという事でした
そんな問題や課題を体験により答えを出して行く、自分の意見や意思を持つようにする
人生はその都度気づきに正解を出して行く旅でもあるという事です
正解は正しいとか間違いだとかを見つけるものでは無いです、自分の考えや思いに気づきその正解を出して、調和しながらバランスを取っていくという事です
では何と調和して何とバランスを取って行くかという事なんです
そんな謎に至った私でした
調和するにもバランスを取るにも自分自身の信念の何をもって基準とするかですよね
それは価値観だったり概念だったり、哲学だったりするんです
その自分自身の価値観や概念や哲学だって正しいとかなんて確信する事なんて出来ません
全ての人間がそれぞれそんな事をしている中で関わりあって見つけて行くという事でもありました
だから矢を放ったり放たれたりと関わっているんです
その矢や針にも意識が在ります、だからいろいろ気づいたりもするという…それで幸せや楽しいや喜びだって心に刺さるし傷ついたりもする
だから勝手に感傷的になったり涙が出たり内側から湧いてくる
心から内臓へ影響も与えるという話もしましたが…
矢や針と共に内臓へ回った意識も振動を起こしていたけど、段々固まりフリーズしていき内臓の働きが劣って行くという話でもありました
それが病気というカタチとなって表面化していくという事です
その矢が心を振動させている
自分自身と外側のバランスを取りながら振動が共鳴しているし
自分自身の内側(魂)とバランスを取りながら振動が共鳴している
その振動は天(宇宙)とも共鳴し共振する、
地球の地核とも共鳴し共振している
地球自体も宇宙の中にいるので宇宙と共鳴共振している
その宇宙の振動と地球の振動が高まっている現在、人間自身もその振動に合わして調和してバランスを取っていかないと歪んで来るし、狂ってくる
だから、近年鬱や精神異常、自分のコントロール出来ない人間が表面化している
その時に心に刺さっている矢や針も振動し融合するか感情として表面化する
昔実験で見た事がある、ペットボトルにバラバラに入った爪楊枝がペットボトルを振る事により整列したり、振動が大きくなり過ぎると外へはみ出したりする
そんな事が私達肉体の中でも意識の中でも起こっているんです
宇宙の中の地球でも起こっているので地球上の世界の国々でも起こっている
地球上の個人でも起こっているし
いろんな単位で表面化している
家族、グループ、会社、政治、社会…
今回コロナが地球の国で一斉に起こっているのもその表面化した現象だと思います
これはコロナが発症した時から言っている事ですが
その時に個人はどう考えどう対処していくか
社会の中で組織は時代と共にどう考えを変えて行くか
政治でもそれを担っていく政府でも今までと同じでは対処できない問題となってて、意識をどう変えて行くかという決断が迫られていく時でもあります
そして世界各国の意識も露わになっています
それぞれの国の意識が表面化してきています
そんな中での自分だけが…とか、自分さえ…とかの意識が出て来るのもこんな時だからでしょう
それは個人であっても組織であっても政治であっても国であっても個人が壊れて行く現われでもありますね
それは他と融合できない表面化です
自分さえ…とか、自分だけが…という時代は終わります
それにしがみつけばそれだけ苦しみます
それまでにどんどんと分裂や分離や崩壊が始まっていますから(矢の振動です)
今回、ウクライナ問題も世界では重大な事かも知れなし、その立場になれば重大な切羽詰まった決断をしないといけないかもしれないけど、関わった人が迫られている、
アメリカが世界警察を止めると言ったのも
北朝鮮がミサイルを打って威嚇しているのも
中国や韓国が勢力を見せつけているのも
全て表面化
それを見ている私達はその「切羽詰まった決断」という本質を教えられているのかなと思います
ウクライナ問題でも、もし自分がその国の人間ならってふと考えたけど、今目の前では無いので中々答えは出せませんよね
歩いて国境を超えるとか、車で渋滞の中逃げるのかと言われてましたけど、
自分なら…と考えると、日本の災害の被災地と同じで、自分に起きていない事は中々自分に置き換えれない
だからこそ自分の目の前を観ようと思えたりする
自分の今に出来る事をしようと思うし、意識を変えようと思う
私達の周りにも小さい事かも知れないけど、気づかない矢とか取り残された矢とかが多くあって、その事に気づかぬ振りだったり、避けてきた問題が在ると思います
その矢を抜く決断の時だったりするんでしょう
コロナ禍で目の前に死が在るとすればそれを考えとする矢と向き合う決断
他者の死を見て他人事だけではない事
迫りくるものに恐怖や不安を感じるならその根本の矢の本質をみる
病気を怖いとするならば、身体の事を知る、普段の生活を知る
切羽詰まっているならば実行する、自分を信じる
何が在ってもそれは自分を信じた事の表面化です
森を見て木を観ず、木を見て森を観ず…という事を言いますが
その両方を観て決断していく事が重要になってきている気がします
木が森の中でどう生きるか、その森の中で生き物がどう生きるか
地球上で自然がどう生き続けるか
その中で自分の芯をもっていく
自分の振動を感じて行く
自分と地球と宇宙の振動を合わして行く
振動を融合していく
地球上の人類の振動が上がれば、地球の意識も軽くなり振動も軽くなります
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