神様仏様の話や迷信の話をしていた私です (^.^)
人生どこに向かっているのか自分が自分で分からない人もいます。
自分自身が神様だと信じましょうとか、訳分からないこと言ってるなと思う人もいるでしょうが、
先ずはそこを信じないと進めませんよねという話。
よくポジティブシンキングと言います。
私もどちらかというと自己肯定感を上げようと考え出してから前向きに考えるようになりました。
何でもポジティブやねとか言われますが、
ネガティブ時代の方が長かったぐらいです。
しかし、このポジティブも前向きも、先ず今の地点を知らないとどこへどんな風に進んだらいいか分からないものです。
なので、ネガティブだった昔の私、自己肯定感低かった私も向かう先が分からなかったんだなって思う。
やっと自分を肯定できないんだと知り、ネガティブだと知ったからこそ向かう先が分かったのかなと。
我は神だと信じようとすると、自分を否定してるのは自分だと気が付いたからだった。
でもそこにもトラップはあって、自分を否定している自分で、あまりにもその期間が長かった自分は、もっと自分の奥を見つめ、もっと自分を知る必要も出てくるのです。
奥の奥深くまで肯定しないといけなくなるからです。
本当に今のままで良いと認めないといけないから。
でもその奥を見つめている途中に自己肯定感低い自分も何度も出てくる。
その度にもっと前向きにもっと前向きにと変なエゴも出てくる。
それは変なトリップに掛かり良い子であろうとする。
わざと前向きになったり、ポジティブじゃないと駄目だと。
それも呪いの言葉で呪縛でもあります。
無理やり前へ向こうとか前へ進もうとかして
今の自分を見ずに知らずに無意識に蓋をしてしまう事もある。
いつも言ってしまいますが、昭和時代ではええかっこしいとか良い人になろうという概念が強かったので特にです。
無理やりより、今を認める、今を知る。
今のままで良いと信じる。
だって神様なんだから。
その神様だと信じる事が今の地点なんだと思うのです。
その、自分自身が神様じゃないと否定していると進む道は見えてこない。
ましてや昨日に話したように迷信に惑わされる。
そんな迷信こそ手離して、迷信の本質を観て、迷信の本質が教えてくれている事に気づく。
今こそ自身が神様だと信じて今の自分を素直に認める事から始まりだと。
人類自身が神様だという事は迷信で終わって欲しくないなと思う私。
少なからず私は「我神なり」と信じてる (^.^)
そうなった時こんな話をすると変な人だと思われ自分だけが別の世界にいるように感じたりする。
今度は孤独を知るようになる。
自己肯定や自己否定すらも越えたところで、そんな事してた自分を俯瞰すらする。
神様や魂は奥の奥で繋がっているので、そこに到達しない限り孤独に負けてしまいそうになる。
仲間がいればそんな事ないのにと思うだろうけど、
仲間がいても今の地点を知らない限り我見失う。
これの繰り返しなのです。
最終的には孤独を知ると繋がりを知る、繋がりを知ると孤独を知る。
両方を知ることが必要なんです。
神様だと信じるとその答えにも繋がる。
神様はそもそも一つ、魂でもあり魂もそもそも一つです。
その本質を知る事になります。
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