
その迷信もみんな誰でも大人になれば「それ迷信やろ!」と言えます。
何なら大人の冗談の様に笑い飛ばして (^^;)
怖さを笑いでごまかしている人もいます。
何で迷信だと分かるのでしょう、
何で何を信じたんでしょう (^^;)
迷信を既に嘘の噂話だと確信したんでしょうか (^^;)
迷信イコール怖い話だと信じたんでしょうか。
ホントは迷信を直ぐに信じたらだめだよと教えられているかも知れない。
迷信の本質を見つけなさいよと神様から謎解きを与えられているのかも知れない。
神様って、助けてくれる存在、怒る存在、どう信じたんでしょう。
神様って本当にいるんだよ。
こんな迷信も、神様仏様も自分の身に変えてみたり、身に置き替えてみたり、
自分の身近に感じてみたり、
親身に感じ考えるってよく言いますよね。
神様も仏様も雷様も鬼神様も祖霊神様も
親の身を借りて、爺さん婆さんの身を借りて、何かを伝えたかったんですよ!!
神様っているんだよ、自分の身に置き換えてみて!!
それをあまりにも怖いものだと受け取ってしまった
神様が遠い存在だという概念だったから、
神様はいない神秘の存在だという概念だったから。
架空の存在として崇められ過ぎたから……、竜神様の様に。
それこそ迷信だと誰も感じ考えないんでしょうか (^.^)
そんな迷信のごとく崇められている神様が自分自身もそう神様だなんて信じられないでしょうか。
そんな迷信はどこにも広まっていないのも不思議だなと思ったりする私です (^.^)
ある時、高次元研究会で最初に教えてもらった事が……、
私にとっては天地ひっくり返るぐらいの事だったけど、神仏に無知な私にとれば何でもそれ程で、何故か素直に信じてみた私。
先ずは信じてみようと思った。
それは何かと言うと……、
神様はお友達だよ、神様に自分のところに来てもらえばいいよと。
それより以前にも、
我神なり、我愛なり、我光なり。こんな言葉も他で教えてもらっていてそうなんだと唱えていた。
なので、神様がお友達だよと教えてもらって、
へぇ~という驚きだったけど、不思議に何の疑いもなく信じてみた。
ただただその信じる道へ進もうと思ったです。
それでも確信に至るまでは探求をやめなかったですが。
そんな事を聴いた時には同じ場にいた人も多くいましたが、
同じように深くそう信じた人はほかにいませんでした。
他の人は同じように考えて信じようとしてたけど、心の奥では神様なんて遠い存在だと思ってた。
ただの「迷信」と同じように聞いていたんでしょうね。
人は同じことを聴いても様々だとつくづく思った出来事でもあります。
同じ研究会で学んだ人でも未だに神社仏閣へ行って表面的な感謝で終わっている人ばかりです。
身に置き換え、というより一体化になり神となり、神の行動とするのは容易くないのですね。
やっぱり、迷信の概念、迷信という概念の呪縛の方が強く人の心に染み付いているんでしょう。
現代の子供や若者にはそんな迷信は通用しない世の中です。
何か論理的な根拠として大人たちが伝えていく役目があるのかなって思います。
何か変な形で迷信とは違う想像が迷走してたりする世の中になっちゃってる。
先人たち、大人たちの育て方がどこか間違っていた。
ある意味そんな若者の主張の中に迷信めいた本質がある事を大人が知る責任があるのかも……。
若者という今の時代に生まれてきてくれた人の方が何か教えてくれてたりする。
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