結婚したころはまだ海外旅行が高くて日数も必要で、本当はオーストラリアに行きたかったけど休みも取れなくて断念したその頃 (^^;)
ハワイも大好きで行きたかった。
ハワイはお正月の芸能人が行ってるのを空港で見たいと思うミーハーな私だったけど。
本当はハワイのシダの洞窟で結婚式をしたかった私、旅行社の人に絶体止めといたほうが良いよと教えられやめて、
それでもハワイで結婚式をしたかったけど、姑さんに一喝で猛反対されて諦めて、せめてハネムーンだけでもと……。
外国の雰囲気を味わいたくて日本人が少なくて日本語が使われていないところでと、ハワイの中でもマウイ島にした (^.^)
外国の島の海岸で外国人に囲まれてゆったりするのも良いかなと (^.^)
ホント、トップレスの人もいた (^.^)
これぞリゾートビーチやなと、ミーハーな気分になった!!
それだけでもと思い、レンタカーも借りて島を巡った。
松田聖子や杏里の歌の歌詞に出てくるイメージを膨らませながらドライブした、今みたいにネットとか無かったので検索とか調べることなく。
今なら綿密に計画したかもしれないなと。
有名どころだけは行ってみた、広い台地の天辺で大台な景色に感動したことは覚えているけど地名などは覚えていない。
風速が凄くて、車のドアを開けたら飛んでいきそうだった事が感覚のまま残っている。
唯一古都のラハイナには行き、景色も覚えている (^.^)
歌詞と共に流れてくる。
そんなマウイ島の大火災にはビックリでショックです (;´Д`)
簡単に言葉には出来ないけど、
一瞬にして景色が変わってしまうってホントあるんですよね。
今の夏なら雨による大洪水とかもですが、雪の雪崩も竜巻も地震も。
いつも言うように自然相手では人間の力は無力なんですね……。
どれだけ文明の利器を開発しても知恵も太刀打ちできない。
思い出も一瞬にして消え去っていく。
私は幼い時を東洋紡の守口工場の大きな社宅で過ごしていたんですが、
その凄く大きなひとつの街が無くなる時にも大きな焦燥感を味わった事があります。
全部閉鎖されて失われる前に幼友達数人で最後に行ってみようと見学しに行きました。
その景色を見ていると、色んなシーンが浮かび上がってくるんです。
現代のマンションとか団地の一角とか一棟というわけではなく、
それはそれは大きな街だった感覚です。
会社、工場、研究所、病院、寮のそれぞれの建物。
野球2面のグランド、テニス場、売店、食堂、お風呂屋さん、平屋家屋群、二階建て家屋群、団地一棟、
どれぐらいの敷地だったんだろう。
今は全然違う建物が建っているけど。
自分の思い出とかそこに在った自分のいろんな事、体験がすべて失われると思うと、どうしよう、止める事も出来ない。
色濃く焼き付いているものも消せない。
それが消されるんだという思い。
潰されていく瞬間は見ていないので心は救われたのかな。
崩され潰されていく瞬間を見てしまうと心にその景色まで焼き付いてしまうんでしょうね。
阪神大震災の後の神戸だってそうでしたが、現在では街の景色はしっかり復興しています。
カタチあるものは壊れてもまたカタチにする事が可能です。
心の傷を癒すには心の更新しかないんですよね。
私も今でも幼い頃の景色は思い出します。友達とも共有します。
傷では無いから良かったのかも知れないけど、
過去の景色も体験の背景でちゃんと残っているし、
その体験の時の心をしっかり卒業できれば未来へ心が進むのかなと。
伝統や歴史も大事だけど、それは心にも記憶にも残ります。
でも形や形式に執着していたら駄目だよという事を伝えてくれたのかも知れませんね、ハワイの神様が (^.^)
街と人々に追悼の意を表します、合掌。
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