
事は特にコロナという病気を課題に与えられて色んな事を考える機会となっています
数日前のブログにも書きましたが
これまでの人類は産業も医学も発展してきたけど、人類はどう成長してきたか
医学で言っても、もう既に癌を例にとっても手術や放射線治療や抗生物質、投薬といった治療法がもう崩壊して行っています
反対に細胞レベルではまだまだ発展して行っていますが
人間が医者や薬に頼る時代をそろそろ卒業しないといけないんじゃないかと思います
物質次元の時代が情報や知識の時代へ変わって行くと言われる今
その情報と知識は見えないものの中で心の時代になるという事ですよね
情報や知識と言ってもそれに翻弄されないようにするという時代です
情報を受け取って、咀嚼して知識を知恵としていかないといけない
たまたま今のコロナでもまだ治療法も薬も無いけど
自分に出来る事は情報を得た時にそれをどうしていくかでもあるし
どう考えて行く事でもあると思います
そんな中でもし病気やコロナになってしまう事の一つには、それも後世に役立たせる意味では必然な事かもしれません
昔からの医学の発展でも人の病気や死が発展に役立たせていると言えます
人の死に意味のない事は無い
生きる命も尊いし、死ぬ命も尊いです
命が尊いもんですね
それで魂の相殺している場合もあります
昔は風邪も万病のもと、結核が流行った時代でも思い出されるけど、そんな時代に亡くなった人は無念だったかもしれないけど、今の時代の医学にしっかり報われている
こんな物質の時代に目の前のことに一生懸命生きてきて高齢になって気づきも無いまま学びも無いままでは終われない、
最後に後世の役に立てればその命も報われるような気もします
私は死の世界を怖いと思う事はありません、まだ若いからやと言われるかもしれないけど
いろんな体験でその世界観を納得して行ってると思っています
死後の検体に出して役に立つ体やったらそれでも良いかなと(最近では検体も受け付けられていないと言われてますが)
まあそれでも人間って往生際が悪いって事もあるかも知れないので、無念を残さないようにそれまでは一生懸命生きますが…
動物の次元よりかは次元も上がっている人間です、考える事と感情を持つ事を与えてもらっていますので
何でも考えるという事は必要かなと。
あの昔のロダンの考える人も人類へのそんなメッセージだったのかも知れない
ちょっと調べてみよ (^.^)
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