緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

感謝の祈りってどうやれば伝わるの?

2022-03-25 | スピ的視点
  
神様仏様に向かい合う時も御真言を唱える時も経典を学ぶ時にも一体化。
昨日は地震の話にも触れ、
大地や自然界にも感謝して祈る時にも一体化。
そんな「一体化」の話に触れていました。


宇宙や地球、神様仏様、全て波動です。
まあこう言葉で言ってしまうと、
現代ではエビデンスに基づいて言ってください…とか言われるんでしょうね。
よく使われているので私でも知っていますが、
こんな言葉ですら使う場やシーンや話の流れによってもニュアンスが変わりますよね…人の感覚ってそんなもんだと思います (^.^)
その「エビデンス」を使う人こそそもそもを知らなかったりするんですから、やっぱり理解し合うとか価値観を寄せるとかというのは人間関係の永遠のテーマですね。

いつも言いますが、
宇宙や地球も神様や仏様も、人間の心も
検証するモノでも証明するものでもない。
いろんな分野の専門家が探究してくれているけど
まだまだ得体の知れないものです。多分永久に…。


多分証明するものでは無く、
探究を続け検証を続け証明して行く、し続ける。
そう生きる、そう生きながら目覚め悟っていく、覚醒して行く。
生き続ける、生きて成長し続けるもの。
魂が輪廻転生しているのもそう言う事。

波動であれば共鳴するもので、
共感するもので、共生するもので、寄り添うもので。
なので、波動で、意識で…と。
私はそう捉えるようになれてから
専門分野やカテゴリーに分類するより
人間として生まれて生きて死んでいくためには、
活用できる哲学にして行くことが出来ました。


波動や意識だから伝わるし、一瞬で伝わる。
それが祈りでもある。
それが愛であり、感謝でもある。


全てのモノと一体化になる
宇宙や地球、神様や仏様
人間同士もです。
森羅万象全てと一体化になる。


それが祈りです。
境界線も無い、分類も無い、
低次元の言葉では差別も無いという事。


御真言を唱えるという話に触れた時にも言いましたが
御真言を唱える時も神様や仏様、目の前の対象物の仏像様…
その意識と一体化になって唱え力をお借りする

一体化になって力を発揮する。
神社のご祭神がどんな神様か知って、
どんな神仕事を成さって来たかを知って、
その偉業に心を寄せ、一体化になって力をお借りする。


そこには邪気や邪念、身勝手な思いや考えは要らない。
神様に少しづつでも近づけるように日々精進して意識と繋がる。
その精進する事が心構えとなる。


神様や仏様には境界線も区別や差別も序列も上も下もない。
神様は全てを受けとめ受け入れています。
境界線の意識を持っているのは我々人間が創り出している意識です。


だから神社や寺院でお願いしては駄目ですよという事です。
自分から神様の意識に近づき力をお借りし、
自分の力を信じる事です。
それには無心に近づいていく普段の心です。


昨日は大地への感謝の話で、
地震があったとしても一体化になって祈りましょうという話をしていましたが、
そんな時でも神社でのお願いが駄目だという事と同じで、
その祈りにエゴは必要ないんです。

自然界の事、神様の事、全て必然に起こっている。
ある意味人間のエゴが起こしている。
当たり前になり忘れ去り、残して置いていく意識…。
意識というよりは身勝手な思いや考えという想念。
大気中にも大地にも地球の奥深くにも…。


「守って欲しい」「良くなって欲しい」「助けて欲しい」「やめて欲しい」…
こんな事すらエゴとなります。
人間の思いや考えですから。
人間レベルの人間目線だからです。
神様はどうぞいつでもどんな時でも一体化して下さいよって優しく言ってくださいます。
その前に自分の中で生きている魂は、
そもそも神様や宇宙と一体化になっています。
まだなっていない魂でもなろうとして肉体レベルを一生懸命導いています。


守って欲しいといわずに、守ってもらえるような自分である事にもっと自信をもって普段から祈り、御真言や経典も活用し、感謝する。
一体化になれば守るも守らないも無いからです。
一体化だからです。


祈りは無心で無意識で一体化を目指す (^.^)
無心になれる様に普段から自分を知る。
自分に自信をもつ。
堂々として、神様と一体化になる。


古代の人やネイティブの人、田舎や地方の人…
時間の概念も違い、物の概念も違います。
生きるのに一生懸命に、ただ生きる事だけを考えていたんでしょう。
ただただ命と向き合っていたんでしょう。
そんな時代でもあったから。
だからその時には無心に神様に近づこうと祈ってたのでしょう。
海からやって来るのか、山からやって来るのか、分からないけど
海や山や大地が生活に密着していて神様の力も求めていたんでしょう


だから現在でもお社や祠、鳥居が山や海の近くにあって、
ある所にそんな古代の人の祈りの力を感じて求めて、
今の人達は近づこうとしているんだと思います。
そんな所でも次元の高い無心のお祈りをして一体化になると
その地場の次元も上がり、神様や仏様の意識も働き、
波動が上がると思います。

そんな時にはきっと希望の光となるのかなと (^.^)




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