緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

自分を知る事の構築

2022-01-06 | 人生観
  家族という一番身近なレッテルを外したところに気づきがあるという話をしていました (^.^)
距離感が段々離れていく家族の中にもふと気づいて理解が深まり、新たに自分を知る事も出来るという話でもありました

仕事場でも趣味や地域のコミュニティの場でも関われば関わる程自分を知る機会が得られます

そんな私も地域のコミュニティ活動で運営の役員をしているんですが、
そんな場でも関心を持てば持つほど自分の意思表示もしたくなるし、それが勉強にもなります
そんな時に意思表示しない人も出来ない人もそれが気づきの一つでもあると気づくでしょう(人それぞれですからね)

私自身も子供の頃から人見知りだったし、若い頃は人前で意思表示する事も話す事も意見を言う事も苦手でしたから凄く解ります (^.^)

学生の頃は手を挙げて発言する事も全くなかったです
余程自分に自信が無かったんでしょうね
そんな私が高校の三年生の時に生徒会の副会長に立候補したのには私自身が一番驚きましたが、そんな血がどこかに流れてたんでしょうね (^^;)
でも高校生ぐらいでは生徒会に興味がある人間も左程いないのでやればと言われればノリでやってしまいました
演説は覚えていません…ただ、やります宣言でもしただけじゃないかなと(笑)
でも思い出にはなっていますが中身は記憶に残っていません
ただ人のお世話が好きで、そんなボス的存在だっただけやと…

そんな資質が残っているのか、子供が出来てからの保護者会から市Pから町内会から校区や地域へと広がっています

そんな場で、その集団と個人の関わりや、集団と組織の関わり、集団と公共組織の関わりなどがあって
そんな時々の自分の考えや思いにも気づいてきました

そんな事を学問的に勉強した事も無いので自分で自分の体験で学んで来たように思います
なので、まとめようもも無いんですが

意思表示できなかった自分から意志表示する自分へも変わり
それは自分が自分に興味をもちだしたからだなと気づき、
自分の考えが知りたくなり…となって行ったんだと思います
そうすると、他者の考えも知りたくなった
他者の考えを知る時にはその他者の環境や状況も知りたくなる

何でも知らなければ答えが出てこないから…と
でも、そこで気をつけないといけないのが感情を挟まないという事も知りました

ただ事実を知りたい、ただ真実を知りたい…
それも自分の本当の答えを知りたかっただけだと思います

正解は無い、正しい間違いじゃないと思うようになって行きました

集団の中にいても私の答えを持っていたい、
でもその集団の中の人の事も知りたい
そして集団としての答えを出して行きたい
そこには自分も納得したい
そんな自分も出てきました

自分の答えを出して行く、グループや集団の答えを出して行く…というように、広がって行く中でも納得し合いたいなと思うようになって行きました

夫婦でもそう思っているんですが昨日も話したように、家族や身近な人間同士の関係では先ずレッテルなどを外さないといけないので中々上手くいきませんが、
夫婦でもですが、グループや集団や組織での話し合いで、Aの意見があって、Bの意見も出て来る
本来、AもBも考えはそれぞれの視点の上では正しいんだと思います
でも
AとBを合わせてCの答えを出して行かないといけないんじゃないかなと思うようにもなりました
否定からは何も生まれないのかなと…
知る事から理解が始まり、新しいものが生まれるのかなと…

誰しもがこんな事分かっているよという事だけど、体験してぶつかり合いながらやっとの事で学んできた私 (^.^)

誰かは、自分の考えを知りたくて、成功者の話を聴きたい人もいるでしょう
誰かは、失敗談を聴いていたいかも知れません

私はいつでもどんな時も常に共に学んでいたかったんだ
共に構築したかったんだ
共に理解し合いながら進みたかったんだ
共に成長したかったんだ

自分を知る事の構築でこんな風に考える自分にいつしか成ってたんだなと思い感謝な今日この頃

それが日常の心の平安に繋がってるなと思ってる私です (^.^)




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