家族でも昔なら「親だから」「子供だから」とお互いに一線引いた上で向き合ったりします
こんな事は、先入観だったり、思い込み、思い違い、決めつけ…の上での葛藤となります
それがお互いに歪みとなったりして反抗や支配や抑圧や…となったりします
お互いに自分に要因がある事に気づかないままでいるからです
本来なら幼い子供でも一人の人間として付き合い向き合えたらどんなにか良かったと人生の大反省でもあります
それは自分自身の生い立ちや環境にもよるので気づくまでに時間もかかります
自分の生い立ちや環境に気づいた事もそれが子育てに影響していた事にも気づいただけでも感謝でした
たまたまそんな事に気づくための結婚だったかなと私は思えました
結果その都度反省しても遅いので気づいた時に自分が変わり前へ進む事かなと思ってやっています
自分の意思や意見考えすらも俯瞰出来ているか正解か踊らされているかも分からない時に自分自身も尊重出来ません
そんな時に一人の人間の相手を尊重出来るわけないですもんね
それが親でも子供でもです
自分の両親や祖父母、そして自分の子供…その両側から自分自身を観てみる事が必須です
そして一対一で会ったり向き合う時にはエネルギーや波動がダイレクトに交わり、ぶつかり合うので
言葉でも態度でも色んな風に出来事が起こります
親子ならなおさらです…本音や甘えが出たり、遠慮が無かったりするからでしょう
でもそんな親子…子供は一人前の大人になると社会や他人の中へ広がって行きます
段々大人同士として、一人の人間同士として親子で向き合う機会が少なくなって行きます
なので、ちゃんと精神的に親離れ子離れしていないと、そこで相手をいつまでも親だとか子供だとかというレッテルがストップしたままになります
親離れ子離れと言っても、それは精神的にで、お互いを親や子供だというレッテルから離れ、お互いを認める事が出来ないといけません
子供が高校生ぐらいになるとどんどん親から離れて行動範囲や人間関係の範囲も広がります
その間子供がどんな考えでいるのか、どんな思いを抱いて人生を歩こうとしているのか
まあ、人生の道の仕事や周りの人間関係を観れば多少は解りますが
昔みたいに固定電話などで話している内容や、家に友達連れてきての会話などからも解りますが
本当の精神面や考えや思いって言うのは中々伝わって来なかったりします
変にあれこれ聞くと干渉してるみたいになるしね
距離感が難しくなります
そんな時に、お正月やお盆とか、クッション材になる人が挟まったり、みんなで話す機会があると不意に本音が聴けたり、思いが観えたりするもんです
まあそんな時にも客観的になっていないといけませんが…
相手を知る事は自分を知る事…
親子でもです
親子の方がもっと深く自分を知ります
子育ての時に知れなかった自分を知る事も出知る
(まあそんな時は大概反省ですが(笑))
でも、新たにそんな時の自分を知ると、その時の自分を許してあげる事も出来るし、愛おしく思う事も出来る
子供の思いや人生の向き方を知ると、自分の子育てもまんざらじゃなかったなと思える事も出来る
まだまだ未熟な子供達や、自分よりも大人な子供達
ひとりの人間としては年齢もレッテルも親でも子でも何も関係ないんです
自分の人生に於いては自分を知る事が必須、それには家族を知る事も大いに役立つ…ですね (^.^)
せっかくのお正月が終わった今、そんな家族とのやり取りのシーンを思い出して、そこにどんな自分がいたか気づいてみるのも良いかもしれませんね (^_-)-☆
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