
コミュニケーションエラーとか意思疎通、意志相違が問題のキーワードでしょう。
結局どちらも正しくて、どちらも双方の世界観で良いのだけれど。
どこを認めて良いのか、どこを尊重して良いのか、双方が探しているんでしょうね。
まあいつまでも平行線の場合もありますが (^^;)
結局のところどっちでも良いのになと思うけど、
何だか自分が否定されてるみたいになったり、
相手を否定してると思われたくなかったり、
正しいとか間違いとかをはっきりしたくなったり、
理解し分かり合いたいと思ったり、
その奥の深層心理は様々で、時にそれが表面に現れてきますね。
たまに意地悪してそこを突きたくなったりする私。
ホントどうでもいいと思っているけど、突いてわざわざ出してやりたくなっちゃう (^.^)
イジワル!!いじりたくなる!!
近年では自己承認欲求が強く表れてくる人が多くて、マウント取る問題がよく浮上しますが、そんな時にもちょっと底を突きたくなっちゃうんですね、駄目かな (^^;)
第三者で見て見ぬ振りしてても良いんだけど出来ないのでつい (^.^)
まあこれは私、でも奥はしっかり相手の事も尊重です !(^^)!
結局のところ、私の中の基準は、
何でも良いしどちらでも良いけど、一旦引いて観てみようと常に思う所に信念があるだけなんですが、自分に対しても人に対しても (^^;)
相手の答えを間違ってると取るのか、自分の外側の広い世界と取るのか。
客観的にみると……ちょっとその向き合ってる2人(複数)を第三者として見てみると、全く分離では無くて、どちらが広いか大きいかが観えてくるんじゃないかと。
間違って捉えていると大きいも広いも見えてこない。
でも広いと取るか、大きいと取るかであったら外側に目を向けたくもなる。
言葉の語彙をたくさん知っている人と言葉を知らない人が対話する時にも先ずは語彙の数の多さや広さもあるし、
知識でも心の大きさでも何でも (^.^)
どちらが偉いわけでも劣っている訳でもなく、
ひけらかすわけでもなく。
能ある鷹は爪を隠す……みたいな (^^;)
先ずは俯瞰する事だけど、それが出来ないのなら、「第三者」になってみる。
自分が悩んでいる悩みでも、もし自分が同じことを相談されたらどう答えるだろうと考えます、それと同じですね。
それをどう誠実に答えてあげようか思いやりもって答えてあげようかとなるんでしょうね (*^^*)
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