人生の見えない証拠は必要です。
誰かに分ってもらえなくても
誰かに裏切られ、傷つき、事実がねじ曲げられたとしても
自分の中に見えない証拠がある。
その証拠は唯一自分に正直になるという心です。
心が人生の証拠を作って行く。
思えば、人生を送る根拠なんて持っている人の方が少ないかもしれない。
見えない根拠に興味が無い人の方が多いかもしれない。
それなのに何故人間は悩み考え、何のために人生を送っているのでしょう。
ただ生きるためなのか?
ただ食べて行く為か?
ただ仕事をしないといけないからなのか?
食べるために仕事をしているからなのか?
そしたら、何故病気で苦しむのか?
なぜ痛みを耐えるのか?
その意味も無ければ、また根拠も無ければ
直ぐにでも解放されて良いはずなのに、
直ぐに死ぬ事が出来れば楽になれるのに。
じゃあ何故嘘をつくのか?
何故秘密にするのか?
なぜ素直じゃないのか?
根拠も無ければそんな事の意味も無い
生きた証を残す必要もない。
人に説明する証拠も要らない。
誰に説明する必要もない。
言い訳する必要もない。
怒る事も悲しむ事もない。
悔やむ事も恨む事も無い。
なぜ感情に翻弄されるのか。
なぜ人と絡むのか。
ただ生きていれば良いだけなのに
それだけでは意味が無いのではないのか。
きっと分かっているから生きるのだろう。
きっと分かっているから怒るし悲しむ。
きっと分かっているから悔やむし恨む。
そんな感情にも正直に向き合う。
真実の証拠集めをしていく事。
それを考える事も無く
ただ無意味に、意図も分からず生きているから
だからいつまでもどこまで行っても
心の落としどころが分からないのか。
だから心が満足しないのではないのか。
人生は誰かに評価してもらうために在るわけではない。
誰かに評価してもらう、解ってもらうために命を与えてもらった訳じゃない。
その真実に向き合い、真実に向かって行くために正直に生きる。
満足して納得していく事が人生の意図なのか。
自分に正直になる心
人生の証拠、生きた証なんだろうね (^.^)
何度も言うけど、死んだ後の最後の審判は自分で下すのですから。
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