
特定の宗教組織がクローズアップされていますという話をしていて、
私の考えを話しています。
私は宗教組織には所属していないし、
特定の宗教を信仰していません。
ただ、人生での出会いで色んな世界を観て来ました。
霊界の世界、因縁やカルマの世界、神様の世界、宇宙の世界。
入り込む事はしなかったので
今となっては良かったのかなと思いますが。
何度もこのブログで書いていますが、
元々は結婚により夫の実家が創価学会だったという事もあり、
入信を当然の如く迫られました。
結婚前に私の母親に反対されたんですが、
オット自身が信仰していないし、絶対にしなくて良いと言われたので、
何も考えの無かった私は簡単に考えどうにかなるかと結婚しました。
結婚という本当の意味も分かっていなかったからです。
結婚後にも何度か話されましたが、
そもそも、そんな宗教というものに
方や「入りなさい」と、もう一方は「入ったらアカン」
という二つの考えがあることに違和感が出てきました。
だから、何か自分自身は断る理由を見つけようと思って調べ出しました。
そうこうしているうちに、その義母が創価学会を止めたんです。
それは、創価学会の池田大作と日蓮正宗の本山が喧嘩して分裂したんです。
義母は多分体裁とか見栄の人間だったので、
お坊さんがいないといけないという考えだったんでしょう。
日蓮正宗側を選択しました。
この喧嘩で余計に宗教に対しての不信感が沸きました。
その後もこの分裂した宗教間で喧嘩が続いていたので余計です。
その後の義母の言動や人間性を客観的に見ていて、
決して悪い人では無いんですが、
自分の世界しか信じていない寂しい人でした。
宗教に携わっている人がどうしてこんな人間性なのか
何故変わって行かないのか…、
そこの宗教の教え自体にも疑問が沸きました。
そう思うともっと不信感が増していきました。
その義母も育ってきた環境が辛く苦しかった様だと分かり理解できましたが。
そんな事をきっかけに「心」という事に興味を持ちました。
後には宗教が山ほどある事も知り、
大宇宙根源神という宗教観も知り、
「あ~なんだ、もっともっと元の大きな世界も在るんだ」と安心しました。
小さな宗教の分裂や争いが凄く陳腐に感じ、
義母に何か迫られた時にちゃんと反論できると思ったんです。
私自身はそのままいろんな世界に導かれていきました。
そんな中でも最初に決めていた事がありました。
「自分の魂は水晶玉のように本当は透明なんだ、そこには生まれ変わる度にいろいろな汚れがくっ付いているんだ、それを磨けば良いだけや!」
「自分の魂を磨くだけ!!」
この考えだけがは一貫して変わりませんでした。
この考えを基にいろんな世界の真理を繋げて行きました。
途中色々な価値観の人とも出遭い、
心が砕けて行く人をみたり、
自分の魂から逃げて行く人を見たり、
心を色んな物事に奪われていく人を見たり、
もちろん楽しそうな人とも出会いました。
出会いと別れを何度も繰り返し、
その度に色んな自分に出会いました。
その度に自分を信じる事を学びました。
とにかく最初に霊界の世界を知った事もあり、
憑依とか、類は友を引き付けるとか、
振り子の法則とか、見返り…などのワードを知ったので、
この世の中は怖いなと思って真面目になり過ぎ、
知らなければ良かったとも思った。
だから余計に自分磨きに一生懸命になりました。
そのお陰で自分を俯瞰する事を身につける事も出来たし、
他者を尊重する事も理解できるようになって行きました。
基本の理念や信念を持つと、進む道は決まって行くし、
基本が応用を呼ぶので広がって行きます。
理念や信念が繋がって大きな真理となって行きます。
私の体験からの実感です (^.^)
今回の報道の中で、東大卒など頭脳明晰の人までが入信しり、
マインドコントロールされたり、
勧誘や霊感商法に携わったという話が出ていました。
信者の2世の人も苦しんでいるという事も言ってました。
たくさんの人が関わっていると思います。
今回の事で戸惑う人も、迷路に入ってしまう人も出て来るでしょう。
元信者の方が、やってしまった事に後悔していたり、
自責の念に苦しんだりしているという話でもありました。
どんなに頭が良くても、悪くても、
どんなにお金持ちでも貧乏でも
容姿端麗でも容姿に自信なくても
どんな人でも”心”が在るんですよね。
心が元なんですよ。
どんな人でも能力と人格は別物です。
どんな人でも心が求める時もあるんです。
環境や状況や出来事で心が変化し動いているし。
私自身も頭脳に自信も無い、容姿にも顔にも自信なし、
モテてた人生でもない、自己肯定感低い
自虐的にピエロでいたり、どんなところでも隅っこにいたり、
そんな人生だったんですよね…自己肯定するまでは (^^;)
高校に入学した時に環境が変わると同時に
性格も前向きになっていったように思います
それと、高2の時にダイエットに成功して少し自信が持てたように思います。
中学生の時とは違う自我が目覚めた感覚があります。
まだその時は自己肯定するまでには至っていませんが
自分の良さが強めに出だした感じ。
後から考えるとバランスが重要な人生だったんでしょう。
全ては通じているし繋がっている。
偶然は無い必然と言われるように、
全て関連している。
関わる人も必然だったと思います。
その一つ一つ体験も覚えているんです。
ただの事実として、体験としてです。
後々にその時の感情を整理してきたので、
何一つ感情は残っていません。
客観的事実だけ残っているだけです。
その時の気づきが、自分の考えや哲学となって行きました。
だからという訳では無いし、
我が家族がどちらの立場になるかもしれない世の中
今回の宗教に苦しめられた感情も理解できます。
行為は歪んだ行為でも、きっと誰かの気づきにもなるでしょう。
魂のお役目もあるでしょう。
罪は償う機会を与えてもらえたとも言えるので
改心して償ってもらいたいと思います。
普段から自分の考えを言える環境があったり、
自他尊重できる家族や友達やコミュニティがあれば
こんな事件も減るのかなと思うし、
いろいろな精神病も減って行くのになと思う。
変な宗教に頼らなくてもよくなるし、
色んな依存症も無くなるのではと思う。
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