
その筋の中では色んな事柄があったとしても「一貫として」というものが自分の中に在る事を知りますと…
その筋は自分の哲学でもあると…。
その一貫としての筋の本質を求めて行けば必要ないものも出てきて、段々と光柱になって行くという事でした
未熟な時にはその自分の筋を通すと言っても頑なになって自分の筋の世界が狭く小さくて、身勝手にみられるかもしれないけど、それもやがて成長につれ必要のないものが見えてきたりします
まあそれが感情というもので、昨日に話した心に染みついたものだったりするんですよね
カラダにも肉体の細胞にも染みついているものでもある
それが細胞の癖(遺伝)、体の動きの癖、口癖、特徴や能力にだってなる
その自分の癖にも一貫したものが現れている
自分で気づかなくても人から指摘される事もある
その癖や個性や特徴の中での本質の一貫したものを自分が気づかないでいる上に、自分で否定している時もある
自分が悪い訳では無いのに、自分のせいでも無いのに…
今現在の一瞬一時の自分がほんの少し間違っているだけなのに…
ひがんでいるのか、いじけているのか、ひねくれているのか、素直になれないのか
癖や心に染みついたものは神様からの贈り物
開けない肉体や心のパンドラの箱には神様からの贈り物がたくさん入っているかも知れませんね (^.^)
自分の癖の中に見る「一貫して」という筋
今までの幼い頃からの癖にもそうしたものがあった
体験していくプロセスの中で光となったものもいっぱいあった
最期の肉体が光になって宇宙に帰って行くまでそうしていくんだと思う (^.^)
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