
それらを与えられて、どう活かしていくか、どう捉え乗り越えて行くかという人生
与えれて、選んだわけじゃないと思う人、こんなの不公平で不幸だと思う人もいて当然ですが、それを受け止めてからが本当の人生とも言えますね
そんな事をブログに書いた夜に、テレビの「ザ!鉄腕!DASH!」を観ていて、カマキリの卵があってそこから産まれてくる瞬間の映像をみました


この大きなのが卵です
その表面の穴も何もないところから一匹目のカマキリが出てきました
まだ膜のようなものに包まれてムクムクと出て来て、二匹目、三匹目と…
下にぶら下がっているのがそうです、そしてその膜のようなものを脱ぐように手足が出てきました
動物の出産もこんな感じですよね
人間も本来そうなんですよ
何かトラブルがあると帝王切開とかになっちゃいますが
そうじゃない場合は自然分娩です
私は一人目を産んだ時、最初からお産をしたい助産院があったんですが、姑さんの大反対で、病院で産みました
二度ぐらいの陣痛で割と楽に出産したんですが、その時の先生は、日曜日でショッピングに行っていたようで、帰ってきたタイミングで私の出産でした、春の3月で、「くしゃみが出る前に出してしまおうか」なんて言ってました
私に聴こえてるけど不謹慎ちゃうのと心の奥で思いましたが
会陰切開してササっと出すんです
いきむのも上手よと言われ二度ほどいきんだら産まれました
その時はそうなんだと言う感じでしたが、その時の助産師さんはには「あんたは楽そうやったから、もうちょっと頑張ればもっと自然に産めたのになぁ~」なんて言われてました
その時には直ぐに理解しませんでしたが
産婦人科の先生と助産師さんは別です
産まれて来るまで子宮口が開くのを助産師さんが介助します
最後に先生が会陰切開をします
こんな風に…
母親がいきんで産んだ、先生が会陰切開をした、お腹にまたがり押し出した、頭を吸引して出した
そうすると、母親も私のお腹で育て、私が痛い思いをして産んだ、お腹を痛めて産んだととも言います、そんな印象が強いです
だから生まれた後に「産んでもらった」という子の思いも強くなってしまうと思いますが、
時に、「何で産んだんや!」「勝手に産んだくせに」と親に歯向かう子供もいたりして (^_^;)
私は二人目から自分が最初からお産をそこでしたかった助産院で産みました
その時にお産の神秘を知ったと、何度もブログにも書いていますが
助産院では、昔は逆子でもへその緒が首に巻き付いていても、どんな赤ちゃんも取り上げてくれていました
最近でからこそ母体に支障が多いという事で、何かトラブルがあると病院へ直ぐに引き継がれますが
その助産院も昔の大先生がいて、私の出産の数週間前に他界されたので、若先生だけで産ませてもらいましたが
意外と楽なお産の方だと思いますが
一人目にいきむのが上手だと言われ、その心構えでいましたが
ラマーズ法的な感じだったので、いきまず、力も入れず、呼吸法だけで赤ちゃんが降りてくるのを介助してくれていたんです
陣痛がきて、もちろん痛いんですが
腰を触って、「良い陣痛きてるよ~」って
赤ちゃんって狭い産道を勝手に降りてくるんです、水のホースをイメージしてくれたら分かるでしょうか
その狭いホースに野球のボールを通すイメージ 、もしかしたらバレーボールの痛さかも(^_^;)
子宮口が10センチ開くと全開です、大体7センチ辺りから陣痛きつくなります
体の中でそんな事が起こっているんです、そりゃ痛いですよ (>_<)
でもその二人目の出産で、そんな事が分かり、赤ちゃんが勝手に降りてくると言う感覚も知り
殆ど産婦人科では赤ちゃんの頭が子宮口で見えてきたよという前あたりからいきんでねと言われ、先生が頭を掻き出すという感じですが
その二人目の時には出て来そうな、頭が見えてくると余計に呼吸をコントロールします、フィニッシュには「はっはっはっは」と細かく息を吐き、力を抜きます
いきみそうになるのを我慢して、力を抜くのは凄く難しかったけど、一時でした
ズボーって出てきて、解放されるーーって感覚
なので、私の二人目からの出産は、出てきてくれたーって感じでした
もちろん出産のカタチにもいろいろあるけど、
その色々というのも人生の課題の一つでもある
カマキリ見てて自分の出産思い出して
人間は、そして生き物は、本当に自分の選択で自分の力で生まれてきてるんだと思うんです
勝手に親が決めて産んだわけでも、親のせいでもない
それをお腹で温め育ててもらい、介助してもらって生まれてきているけど
それは本当に愛でしかないけど…
天から決めていて、自分の意思で、肉体の殻を選択して、決断して生まれてきている
カマキリの様に……(^_^;)
ムクムクと出て来たのは紛れもなく自分の意思
今生きている事は当たり前でもなく、自分の意思
どんな人生でも、波乱なジェットコースターのような人生でも、病気を選択したのも自分の意思
何か意味があるから選んでいる
対処に追われている時には気づかない
何か本来の意味に近づいている
ジェットコースターみたいな人生を選んで楽しんでいるかもしれない
病気を体験しながら何か探究しているのかも知れない
そこには感謝も有れば、愛もある (^.^)
自分の意思に気づく人生の方が数倍面白い!
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