自分自身も神様だよと……、昨日まではそんな話。
なんとおこがましい事を言うんだと憤慨する人もいるでしょうね。
そんな人は神様をどんな位置で観ているのでしょう。
自分自身をどういう存在だと認識しているのでしょう。
世の中にはSNSというツールが出来たからなのか、匿名希望でいろんなことを無責任に言う人も増えています。
それに惑わされ振り回される人もいます。
SNSでなくても昔から噂話が好きな人は多いし、色々憶測で無責任に論破する人も多いです。
大概自分自身は棚に上げて、どこか上の方から自分をも観ているのか。
魂が既に自分から離れて肉体の自分を観ているのでしょう。
そんな人も神様の存在をどう信じているのか。
まあこの世の中自由なのでそのままで良いと思います。
この世を卒業する時、寿命をどう全うするかも自由ですから (^.^)
こんな話も、神様の話も、今までの世の中に流れてきた話も、
呪縛の中で世の中の価値観や概念に縛られてきた話も、
そんな呪縛や呪いの言葉のような自分自身が自身を見失うまでに広がってしまった価値観や概念……、それらが「根拠のない迷信」を作ってしまった。
昔からおじいちゃんおばあちゃん、父、母、近所のおじちゃんおばちゃん、知り合いの大人たち。
そんな人達からどれだけたくさんの「迷信」を聴いたか!!!!
神様関連、仏様関連、お祀り関連、鬼、雷、お化け、幽霊、
そう考えると観えない世界は誰も知らないのか、確認も出来ないのか、段々想像が広がり迷走します。
見えない世界は見えないだけに不安や心配や怖れの感情が付きまといます。
見える世界には見えるだけに決めつけや思い込みが付きまとうしね。
この迷信も観えない世界を怖い不安心配と思っている人が自分の思いで伝えるし、代々伝え継がれるし、益々恐怖心も大きくなっていきますよね。
根拠のない迷信となって……。
その根拠のない迷信であっても……、
中には真実の事もあるだろうし、
その迷信の本質に真実に伝えたい事があるのも本当だと思います。
迷信に惑わされている事、迷信に翻弄される事自体を考えなければならないと思うのです。
私自身も母親が言う世界が全てだと信じて育ちました。
「〇〇したらこうなるよ」という風に、
雷が鳴っている時におへそ出してたら取りに来られるよ。
霊柩車を抜かしたらアカンよ。
霊柩車を見たら親指隠さな親の死に目に会われへんよ。
夜に口笛吹いたら蛇が出るよ。
夜に詰め切ったら親の死に目に会われへんよ。
食べてすぐ横になったら牛になるよ。
カラスが飛んでたら死んだ人が近くにいるよ。
枕を北にして寝るのは死人さんだよ。
この最後の北枕なんて、最近では頭寒足熱でそうする方が良いよと言われています。
私ももう30年以上北枕だわ (^^;)
これらの迷信でも親が子供を心配しているからだったり、
親もまた不安で子供に託したい事だったりする。
この本質が大切な思いだというのに、
何でも昔は交換条件の様に子供に背負わしたり、脅したり。
迷信も人間のエゴから来ているものが多いですね。
その本質を知れば、親の愛も感じれる事だったでしょうに。
素直じゃなく歪めば思いも歪んでしまう。
神様も仏様も、鬼神様も雷様も、全て神様で、本質を伝える愛です。
幽霊もお化けもこの世に念を残したままの祖霊神様です。
迷信も本質を知るためには必要なんです。
その中の課題にチャレンジして本質を見つけるだけです (*^^)v
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