自尊心を育むという話をしていました。
その自尊心を育む事で人生の満足感も得られるという話でもありました。
最近、安倍さんの事件でクローズアップされている宗教問題。
昔から宗教にはいろいろ問題が出てきていました。
宗教イコール…オカルトチックだと言われたりして、
私も結婚してから宗教問題と向き合ったと話しています。
私が何かを真実だと認識して信じようとした時、その都度
それによく似た宗教が問題を起こしたり、
そんな宗教と同じような神通力や呪術や霊能力を使って何か魔術のような事が行われて胡散臭い評判が出てきたり、
せっかく信じようと思った所だったのに、
そんな事を繰り返しがありました。
外国では一神教で、神様を崇めるのは普通の事で、
何があろうとお祈りも欠かさない。
魔術ですらも神様の思し召し。
命を捧げる事も出来たりする行き過ぎのような。
日本では考えられない様な。
日本ならペテン師か詐欺師。
昔の日本もそうだった時代もあったやろうけど、
やっぱり宗教って良くないのかなと思ったし、
よくない事をやってると自信をもって人に話せないのは嫌だなと思ったり、
何を信じて良いか分からないなと。
それが良かったか悪かったか、それが功を奏したか
人生に宗教の色々を見せてくれました。
凄く考える時間をもらったように思います。
いつも言うように宗教が悪いものだという結果ではありませんでした。
その扱い方や伝え方、支配や制限や依存が駄目なだけでという事が分かりました。
人が宗教に頼る時、
人が他人を頼る時、
人が何かに頼り依存する時、
そんな時は心の癒しを求めているのでしょう。
人が他人を頼る時、
人が何かに頼り依存する時、
そんな時は心の癒しを求めているのでしょう。
だから心が求めてしまう。
心が外へ求めてしまう。
アーユルベーダというインド伝統医学の古典に
「感情がそこにあると認識する事から癒しが始まる」
アーユルベーダというインド伝統医学の古典に
「感情がそこにあると認識する事から癒しが始まる」
と書いてあると聞きました。
という事は、自分の心を観て行くという事なんです。
外へ求めるから自分の心を見失う。
外へ求めるから自分の心を見失う。
外じゃなく内の心が求めているものは内なる心。
何かに求めても自分が自分の感情に気づいて認識しないと
その壁にぶつかっている自分に気づかない。
壁を乗り越えて成長して進化しないと本当の癒しはやって来ない。
ついつい他に頼るという繰り返し、
癒しが無いと心も疲弊する。
内なる自分の感情を認めてあげる事
何かに求めても自分が自分の感情に気づいて認識しないと
その壁にぶつかっている自分に気づかない。
壁を乗り越えて成長して進化しないと本当の癒しはやって来ない。
ついつい他に頼るという繰り返し、
癒しが無いと心も疲弊する。
内なる自分の感情を認めてあげる事
内なる自分の感情を許してあげる事
それが癒しにつながる。
本当の宗教はそれを自分で出来るように導くもの。
自律できる自分を育てて行く事を励まし見守るもの。
神様から分離した者を自分で立てるように育てるもの。
神様は動物から進化した人間に、
感情を与えて成長と進化という課題を与えてくれた。
その感情を認め理解し自分の心から分離させて初めて軽くなり癒される。
癒されるどころか、
生まれて来た神様との約束が果たされるから
癒されていくのでしょう。
自分の周りに縁ある人や物事はそれを教えてくれている。
宗教に頼らなくても生まれて来た目的は果たされる。
だから心の底から癒される (^.^)
心が癒されたいと思うなら心を見つめる事と向き合う事です (^.^)
それは自分にしかできない、自分の心ですから (^.^)
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