自己肯定感が低い私だと記事に書く時があります。
それも昔はそうだったと…。
母親の影響も大きいという事も。
兄が怒られているのを見ると、怒られまいとしたり、
怒られるのが怖かったり、
常に母親の顔色伺ったり、
母親の評価を気にしたり、
人前で怒られるのも嫌いだったり、
自信が持てないで、引っ込み思案で、
人見知りで、恥ずかしがり屋、
人前で話せない人間でした。
そんな時に自分の意思を言おうとしたら
母親から鼻で笑われ、余計に自信が持てない自己嫌悪。
未だに母親は私の事を偏見でみたり、決めつけたりしています。
本当の私を見ようとしないし、解ろうとしない。
まあその母親と接しながら、
自分が自分を観ないといけないと気づいた
そう気づかせてくれた。
だから感謝しかない。
そう気づいた時から自分を認めよう、
尊重しようと決めた。
自分を尊重しないと人の事を認める事も尊重する事も出来ない。
これって、昭和人間にとったら結構必須で、
時代の傷跡って感じてます。
それが無い限り、人間同士の調和は難しい課題だと。
「自尊心を育む」
それには努力も必要。
それには努力も必要。
それを育てる事で、丹田に力が入り、
この世を生きる決断力や行動力も養われる
自尊心を育てる事で第三のチャクラも活性化する。
そんな事も教えてもらったりした。
そうやなと納得したりして。
決断と行動と…自信が持てるという同時バランスで育んで行く。
この世で地に足つけるという自信も出来て
この世で地に足つけるという自信も出来て
生きるのも楽にってね (^.^)
そうじゃない時は…
誰かの評価で自尊心を埋めていたり、
自分の承認欲求ばかりを満たそうとする発言や行動が常だったり、
誰かの評価で自尊心を埋めていたり、
自分の承認欲求ばかりを満たそうとする発言や行動が常だったり、
本当の意味で人生に満足感を得られないんじゃないかと。
この世はどれだけ長くても、お金の有る無しでも
自尊心は自分で埋めないと満たされない。
それがどんどん孤独に繋がったり、
自分に自信も持てないから世界が小さくなったりする悪循環。
歪んだ自尊心だけは大きくならんようにしたいもんです。
人生の満足感は自尊心によって埋められる。
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