よく「森を見て木を見ず、木を見て森を見ず」という言葉があります。
多くの人は一度は聴いたりして知っている言葉ですよね。
こんな言葉も活用して初めて活かされますよね。
数日前にも経典や御真言も活用しないと意味が無いという記事を数日書いていましたが。
教訓や哲学も座右の銘も、どんな事も言葉など知識で知って、ハタと気づいて、人生に何でも活用です (^.^)
人生の答えに繋がるヒントとなりますから (^.^)
人生は何気に生きていると思っていますが、
「生きているだけで丸もうけ」と明石家さんまさんも言っていました (^^;)
もちろんそれも良いのですが、
楽しくても辛くても寂しくても感謝でも…
感情には思考もついて来ています
その情報処理をして行って初めて生きている意図にも気づいたり
納得したりすると思います。
人生はある意味意図があって与えられているからです。
そして楽しければどんどん人と(魂と)繋がり、楽しみのエネルギーを広げ与え共有しながら魂の意図にも気づいて行きます。
どんな体験でもそうです。
意味のない体験はないのです。
たとえ小さな普段の幸せに気づくという事でも意味はあります。
昨日、一昨日と主婦の私や友達の事を話しましたが…
その二人の主婦の体験にも色んな関わりと気づきと学びと愛があり、
それぞれ同じ主婦体験ですが、それぞれ違うし、共通する事もあるし、共感する事もある、
主婦という仕事だけを観ていても気づかない見えない仕事もあるし、
それに気づく人もあれば気づかない人もいる
そして周りの関わりによって気づきも学びも変わる
自分の性格や能力を観るのにも役立つし
主婦の仕事としての部分だけを観ているだけでは悩んだりして自分を見失うし
結婚する人もいればしない人もいて、体験はその人のモノで
主婦が家事をすると捉える人もいればそうでない人もいて、
主婦という事に責任感や使命感を自分に観ている人もいて、
何が言いたいかって?…
自分がしている事をしなければいけないとか、するべきだとか
体験でも「ネバ」とか「ベキ」とか
目の前のしている事だけに囚われると我見失ってしまうと思う私。
少し大きな視点で自分のしている事を眺めてみれば…
そんな事止めたってどうってことない事だったり、
関わりを排除すれば好きな事だったことに気づいたり、
何のためにやっているか気づいたり
その例えばの「主婦」に関係する自分のこだわりじゃない時もあるんですよね
主婦って凄いんですよ、ホントに (^.^)
人間の特質のいろんな要素が備わっていると思います。
全ての人にとは言いませんが、
いろんな特質が観えて来るという事です。
技術もだけど、段取り、計算、予定、予想、計画、企画、手際、愛情、愛、思いやり、優しさ、
もっともっとあると思う。
人のためや家族のためだけじゃない気づき。
人のためや家族のためだけにやっていると思うと我を見失うし見返りを気づかぬうちに求めてしまう。
私もそんな事に気づきつつ、
自分を応援したり褒めたりするようになりましたが、
やっぱりどこか誰かに認めてもらおうという気持ちが手放せなかったりして
ふと我見失う時もある (^^;)
でも最終的にはいつも…
自分が自分を認め、小さい枠の中の自分を観たり、
大きな枠から捉えて自分を観たりしながら
自分の人生の意図を見つけて行く事なのかなって思います。
それは自分の中の小さくても大きくても特質や能力を見つけて行く事が人生の意図に繋がるのかなと思うからです。 (^.^)
自分に感謝も出来ます
生きている事にも
生まれて来た事にも
納得できて感謝できると…。
目の前に行き詰まったら一度大きなところから自分を観てみる。
大きなところでホッとしたらまた目の前の事をしてみる。
大きなところで不安になったらまた自分自身を観て自身を大切にしてみる。
「森を見て木を見ず、木を見て森を見ず」ってそんな事なのかな (^.^)
私の思うところの「全ては一つの中に、一つは全て」もそうだと…。
人生の体験をそんな風にどちらも大切にしてみると良い。
意外と知っているけど活用できていない明言はたくさんある。
病気や痛みの時にもふと我に返ればそんな事だったりしますよね。
病気や痛みばかりに意識がいくと我見失う。
病気や痛みを超えれば恩恵はいっぱい与えてもらっていますもん (^.^)
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