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ケチと言われればそうではないと思っているけど (^^;)
節約家と言われれば絶対にない!
楽しんでそれが出来ないからです。
コツコツ節約するぐらいなら何か一回分止める方が良いと思うからです。
それに無駄なものは買わないと決めている。
どうしても欲しい時には出せる物なら多少高価なものを買うときはあっても、それほど欲しいか?と自問自答します (^^;)
一応食に関しては安いとか悪いものは極力選ばない。
これも高いから良いわと思っているわけでもなく、
体にとってどうかで体に良いものをです。
お金ってこの世のエネルギーで見える物でもあるけど、
見えないものでもある。
なので、先に話したように心も共有している。
一番価値観が現れる事かも知れませんね。
お金の使い方に対する価値観。
そうなると、自分はどうかと言うとお金に対する価値感が低レベルな時がある。
勿体ないと思う事もそうかなと。
良い事のように思う「勿体ない」と言う言葉でも何か引っかかる。
今はどんな言葉で説明したら良いかピンと来ないんだけど、
人間の対価として考える事に少し苦手部分があったり。
人に仕事を依頼することがあって、
人の仕事の対価に見合う対価、
決まっているようで決まっていない基準、
古代の物々交換とか肉体エネルギー交換の対価の方が良いと思う価値観が強いかも知れません、古代人か? (^^;)
人におごる太っ腹な時もある。気持ちの問題かな (^.^)
なんぼでも払える物なら大盤振る舞いもできるでしょうが、
そんなに払う物なのか?良いのか悪いのか、
払わない自分が間違いなのか、払う自分が間違いなのか?
言い値で良いのか、言い値に素直に応じるのがアホなのか (^^;)
それが分からなくなる時がある。
大阪人はよく値切るというけど、人と話している間にその人にほだされて値切れなくなる私でもある。
たまたま先日、その仕事依頼で決めた人も数人の内から選んだんだけど、話がどんどん進みちょっと高くてもまあ良いかと納得した。
そんな時に気づいた価値観。
買うも買わないも、払うも払わないももちろん自分ですが。
いつも何か買った後も絶対に後悔したことはない私。
若い頃もですが、
たとえキャッチセールスや訪問販売で高い生活品や化粧品やサプリなど買った時でも払った後は後悔した事ないんです。
その時には払えたから良いかとただ過ぎて来ただけ。
でもやっぱり人に対する対価に価値をつけれない私。
多分自分に価値をつけれなかったんだと思う。
自己肯定感低い自分はこんなところにも影響してたんだとつくづく思う。
嘘つかれるのも嫌いって話したけど、裏切られて傷つく事が怖いというのも心の奥の心理の「恐れ」からです。
もうそろそろそんな事からも卒業です。
話それたけど、
その人への対価も払った後が大切なのかなって
価値あるか価値無いかを決めるのも自分だとしたら、
価値あるんだと信じようと。
価値ある方向に絶対になるんだと信じようと !(^^)!
価値ある方向へ持って行こうと (*^^)v
自分が選んだ事も信頼しよう。
その自分に価値あることを信頼しよう。
幼い時からのトラウマや暗示を解くには気づくまでも時間かかるし、
気づいてからも時間かかるもんです。
逆暗示かけて行かないと当たり前になるまで大変ですね (^^;)
お金の使い方一つとっても自分の価値観を知る事が出来て見直すことも出来るんよね。
それで残された人生の生き方も変わる場合がある。
高齢に向かうならそれも客観視して見る価値あるかもですね(*^^*)
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