
本来の人間個人の生まれて来た目的は「自分を知る」「制限を外す」「制限を超える」「自由になる」…これが本質だという事です
体験もそうであるし、意識もそうだという事です
そうは言いつつも、その無限の意識がどこに向かうのかを知らないから迷ったり、体験をしてぶつかったりしながら先を求めて進んで行くんでしょう
たまたま昭和までの意識は支配とか統治、制限・抑圧・弾圧、という意識が強く、家族や社会の常識の中で生きる事が当然で、それも「守る」という意識であったかもしれないけど個人意識の枠から中々はみ出る事はなかった
意識がどこへ向かうか分からなかったという意味からでも、統治という意味でも仏教や宗教という枠組みから神仏という象徴までも作りあげてきた
仏や神様の言う通りだと信じて、それを教えてくれる仏教や神道に依存してきた
元はと言えば、自分の煩悩を知り、自分の制限を外すつもりだったのに、自由になるつもりだったのに、その宗教にも束縛や依存、支配や弾圧があった、
その世界を創った宗教家にも責任があるやろうね
それは大きく社会の常識へと広がり、組織の支配や人間支配にも進展していき、意識を制限するという事にも進展していきました
それが正しいと言い聞かされ、思い込まされてきた
守ってくれていたかもしれないけど、個人の意識を制限してきた事でも消して失わせてきた事でもあります
パーソナルな個性や特徴も打ち消して行った
そのいろいろな「制限」が「意識の制限」となり、内に押し込められ、蓋されて行き、肉体の中では意識が抑えられることにより塊となり病巣となりました
何が起爆剤になり飛び出すか分からない状況で、怒りとなったり不安となったり、精神的にコントロールできなくなったりしていった
でも本来は自我の覚醒です
出て来るものは仕方がない、受け入れるしかない
自由の目覚めが始まっただけなのかな (^.^)
この感染はウイルスと同じく止められるものでは無いです
自由意志は全ての人類が求めているものだから
ウイルスはその起爆剤かもしれませんよね
日本人はまだまだしおらしく世の中に合わせる気質なので、世界の国よりも感染が抑えられているんだと思えますよね
もともと自由の国だとか、国の統制に反対する様な国民性の方が自由をもっと表現しているんでしょう
その自由の表現も行き過ぎて身勝手になるとどうだかわからないけど、国の統制力の横暴さに対しての事もあるから当然なのかなと思います
外国と喧嘩している国も内戦へと発展していくのと同じような…
日本に生まれて良かったなと思いますね、感謝ですね
そうやってみんな全て分かっているのに…
自分にとっての正解も分かっているのに…
自分にとっての美徳、自由、それを求めているのも分かっているのに…
そうするために手放すものがあるのも分かっているのに…
それを手放すのも簡単なはずなのに、制限を外すだけだと頭では認識しているはずだけど、簡単なようで難しくなったのも時代の意識の抑圧でもありました
それこそ仏教が一番手放しなさいよと言ってる「執着」ですよね
意識の上での「執着」
宗教が植え付けた「執着」でもありますね
その執着も宗教の崩壊で手放さないといけない状況もやって来るんでしょう
もう既にそうなってますね目の前の一部では…。
自分を信じて行く時代、自由意識の時代
大きな出来事がやって来てもまず自分しか自分を助けてくれない
最近で言う、自助共助公助です
レスキュー隊も救助の時の一番大切な事で言いますよね、まず自分が死なない事って…。
そうしないと誰も助けられない、幸せも自分が幸せじゃないと人に与えられない
自由も自分が自由じゃないと人にも自由を与えられない
私も子育ての時にやっとそう教えられたように思います
子供のためだと守ってやるだけでは駄目で、まず自分が自由になって子供を自律させてやる事かなと…そんな時からやっと私の自由への道が始まりました
良い人でいないといけないとか、正しくないといけないとか、想像の先に制限が在るからだとそんな話も昨日にしていましたが、自由意識を認めるには先ず自分のそんな制限を外す事が近道かなと… ヽ(^。^)ノ
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