人生にはちゃんと地図がありナビされているという話を続けています
そして普段の生活には思考の地図が働いているという話をしていました
それを自分の肉体と共に生きている魂の地図とブレンドしてはどうでしょうという話でもありました
魂の地図とブレンドしだすとご先祖様や仏様、神様や地球や自然界自体が描く地図ともブレンドして行くという事でもありました
それが宇宙の描く地図です…と(^.^)
で…何もその地図とブレンドするからと言って、お化けが見えるようになったり、ご先祖様が現れて助けてくれたり、神様のメッセージが受け取れるようになったりするんじゃないし、
宇宙へ実際に行けるわけじゃない!!(意識では行けますが)
「思考」というのは結局は「人間の考えとか思いとか意思とか」であって、
その思いや考えや意思にも次元があり、
よく低俗な…と言われるような事です
それが段々成長や進化をして意志となったり、価値観も広く深くなったして行くそして意識となる
その意識が超意識となり、超々意識となって行く
細胞が原子や電子や原子核、中性子、陽子、クォーク…と、素粒子になって行くのと同じで
思いや考えがカタチとなって行くのがこの世で、意識となって心電図モニターに波形として計らないと認識できない方へ細かくなって行くのが意識で、それがもっと音波や光となって、どんどんと進むと超意識や超々意識となる
だから思考の地図も宇宙の地図へ向かう程本当は単純化され簡単になるんですよね
カタチもないし時空も無いから…
「色即是空」「空即是色」と言った事です (^.^)
思考の地図も魂の地図ブレンドして行くと、どんどん地球や宇宙の地図ともブレンドが進んで行くという話もしましたが
そうして行くうちに思考も整理整頓していき必要ないモノも無くなると言いました
そうなると思考の地図も変化して行くので、それでこの世の現実の体験も変わってくるんです
この世に生まれて来た時にすると決めて来たコースを変えるわけですし、変えて良いよと赦されるわけです…恩赦みたいな…
省略も免除…飛び級だってあるんです
体験しないで済む事は体験しないで良いとなります
もうこれは十分だよと体験しないで良いと自分でも思えるように意識が変わるんです
今まで病気にならないと分からなかった事、命を考えたり体の事を知ったり、病気の本質を学んだり気づいたりしたら、もう病気の体験はしなくても済む
人との関わりだって、いじめてばかり、いじめられてばかりどちらでも体験しないと分からない
自分のおかれてきた環境、人のおかれている環境、そんな事を知ったらもう体験は修了なんです
自分に自信が無い体験だって、自分を知る、人を知る、優劣の本質を知る、そんな本質を知って行くと体験は減って行くんです、そして自分も自信が持てるようになって行くんです、そうなると体験はしなくて良いものだと分かってくるんです
どんな体験だってそうなんです
肉体を持つという体験…命、心、感謝、楽しむ、苦しむ、喜ぶ、臆病、勇気
お金に関する事も…お金持ち、貧乏、騙したり騙される、与える与えられる
食事体験でも…命、健康、不健康、分かち合い、自然に共生と感謝、
愛でも…下心、性欲愛、野生愛、恋愛、情愛、純愛、愛憎、真実の愛
このように、この世の体験は数えられないぐらい人類の数の何倍以上も無限にあるんです
みんな思考もバラバラで無限です
人と比べるものじゃない、優劣じゃない、自分にしか分からない
私も自分に向き合って初めて自分の体験として自分の体験を精査してきた
テトリスのゲーム(古くてごめんなさい、今はパズドラとかかな)のように、体験と体験の本質が合わさり消して行くと整理整頓が出来てくるんです
そうしている事が…思考の地図と魂の地図が合わさって来るとなるんです
今現在どんな状況か、満足な事不満足な事…は、人に話しても分かってもらえない事も多いと思います
そうなるとまたジレンマが増えてしまうし、カルマを増やす事にもなる
自分が認識するために起こっている自分の思考の地図でナビされているからです
魂も何度も肉体を借り直して(輪廻転生)この世に再来してるけど、今までは源へ帰れないでいたんです
この世に再来するのも天界の試験があるそうですよ
その天界での試験に合格して終了して初めてこの世に修学旅行にくるという
それだというのにこの世でまた次元を下げカルマを残し、天界へ戻れなくなるという
そして、源へ帰れないでこの世の大気中に意識で浮遊して、幽界霊界でも意識で浮遊してたんです
それが一掃されるという宇宙(天界)からのエネルギーで強制送還です、それで慌てふためいた(まだ意識が残ってて執着というカタチで浮遊しているから)
送還されてももっと孤独な宇宙のカスの星とされる世界があると知ったからです(されても良いのに!、何かに執着して諦めきれないんでしょう)
意識が在ると何かに執着も残る
死んだら終わりという考えも死んだら始まりという考えもどちらも言える事
死んだら意識がなくなると思ってるのも、死んでも意識は次へ進むというのもどちらも正解です
生きている間に体験を免除される方が意識を残さないという意味では楽で良いと思うけどなぁ (^^;)
夢物語のように話しましたがこれもこうやってキーボード打っていると、どんどん私の魂がこうだよって勝手に進めてくるというかテレパシーでやって来るんです (^^;)
そして、私も「へぇ~へぇ~って、あぁ~そう言う事なんだ」って納得しているという
キーボード打ちながらでもテレビ見たり手を止めたりしながらでも思考の地図と魂の地図が同時に働いているんです
テレビ見ながらでも違う事が頭で働き、頭に言葉が浮かんで来たりして
「こんな感じかな」「それはどんな語彙でやろ」「どんな事やろ」「どうやって表現するんやろ」って…多分私のコンピューター使いにくいんやろうなと思ったりして
思考が働きながらボチボチ魂へのアンテナ張ってるんでしょう、
没頭してたり夢中になってるともっと細やかに受信するんだろうなと思ったりしながらもゆっくりやってます (^^;)
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