丸谷(まるや)才一『快楽としての読書 日本編』を古本で購入。丸谷才一という人はよく知らんのだけど、清水義範の『心を操る文章術』でも「丸谷才一先生の余裕のユーモアエッセイはニコニコして読んだ」とあったし、表紙もポップだし、これまた笑える本かと思って注文した。
ところが読んでみると、いきなり旧仮名遣いの文章。本以外の記録媒体としてCDやLDも例に挙げてるので、そんなに古い本でもあるまいと奥付を見てみると、「本書は一九六四年(僕が生まれた翌年)から二〇〇一年に書かれた書評(後略)」と書いてあり、第一刷発行は二〇一二年四月十日となっている(亡くなったのは二〇一二年十月十三日)。念のためググってみると、一時期を除いて「独自の歴史的仮名遣いを使用(Wikipedia)」と書いてあるから、この人の文体自体が旧仮名遣いだったという訳だ。
それでもせめて来るべき「大人の文章教室&サークル」の予定課題「書評」の参考になればと思って我慢して読んでみたけど、こうも文体が独特すぎてはパスティーシュかパロディのネタにしかならんではないか。そういう訳で、冒頭のI章「書評のある人生」中の「書評と『週間朝日』(先日たまたま観たNHKの『サラメシ』で『週間朝日』廃刊の日を密着してた)」、「扇谷正造(元週間朝日編集長)と齋藤明(元毎日新聞編集局長)が作ったもの」「書評の条件」まで読んだところで挫折してしまった。
さらに念のため、Kindleの無料サンプルで『闊歩する漱石』と『別れの挨拶』(どちらも書評中心)、『人間的なアルファベット』も一部だけ(サンプルなので)読んでみた。独特の文体は相変わらずだけど、確かに清水の言う「余裕のユーモアエッセイ」だったことは間違いない。
快楽としての読書 日本編