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雑感録

福岡なるほどフシギ発見~おまけ10~ 神話に直結するナゾの多き筑前一の宮

 
住吉神社
創建時期不詳

最近「おまけ」と神社仏閣ばかりですみません。
でも、ここで一気に整理しておかないと、中盤のヤマに進めないのです(進んでからもしばらくは神社仏閣が続くと思いますが)。
ところで何が本編で何が「おまけ」かというと、私の中の勝手な定義では、直接日本史の本流に関わっているのが本編で、関わりが薄い地方史どまりのものが「おまけ」です。
でも、判断がつかないものや、出すべきタイミングでは存在を知らず、後になって追加したりとかいうのも「おまけ」になったりするので一概には言えません(あくまで勝手な仕分けです)。

さて、住吉神社。
筑前一の宮である。
何が筑前一なのかしらんと思って調べてみたら、「一の宮」ってのが中世に定められた神社の格づけを表すものらしく、筑前国で一番有力な神社ってことらしい。
もちろん福岡にはそれぞれの範疇で全国トップクラスの神社はいくつかあるんだけど(香椎宮なんか格付け外だし)、中世の社挌ということで、当時は中国との貿易も盛んだったので、海や航海の神様・住吉大神を祀る神社はさぞ頼りにされていたんだろう。

神社のホームページによると、創建はなんと1800年以上前といわれ、全国各地にある住吉神社の中でも最初のものとされているそうな(現在の総本社は大阪の住吉大社)。
昔はこの地の前まで海があり、那珂川の河口に当たる場所だったとか。
古事記では伊弉諾大神(イザナキおおかみ)が黄泉の国から帰還し、「筑紫の日向の橘の小戸(小門)の阿波伎(檍)原(あわきはら)」で禊祓(みそぎはらへ/いわゆるミソギ)を行なった際に生まれたのが底筒男神(ソコツツのおのかみ)、中筒男神(ナカツツのおのかみ)、表筒男神(ウワツツのおのかみ)の住吉三兄弟ということになっているが、社伝ではその阿波伎原というのが住吉神社の建てられた場所ということらしい。
橘(立花山)は東にあるからよく分からんが、日向(峠)も小戸も西の方ぢゃないか、それなら姪浜の住吉神社があるじゃないか、という気もするのだが、筑紫をとばして(注)日向(宮崎)の橘の小門の阿波伎原ということで、宮崎市には「御(みそぎが)池」というものがあったりもするらしい。
さらにはズバリ西区の小戸だという話もあり、たぶん探せばもっと出てくるのではなかろうか。
ちなみにこの禊祓の際には天照御大神(アマテラスおおみかみ)、月讀命(ツクヨミのみこと)、須佐乃男命(スサノオのみこと)の三大神様(三貴神)のほか多くの神々が生まれているのだが、なぜ住吉三兄弟だけがフィーチャーされたのかは神の味噌汁である。

追記 (注)どうも「筑紫」は九州を指していた頃もあったようですが…。

追記
志賀島の「小戸」も候補地のようです。

住吉神社が海のそばにあったことを示す古地図(神社の案内板より)。住吉神社所蔵の博多古図より起こされたものと思われる。

件(くだん)の禊祓の場所といわれる天竜池(汐入の池)。「伊弉諾尊禊祓の聖地」とあるが、池も立て札も有り難みが薄いなあ。

また、住吉大神といえば神功皇后
スミヨシタロスに憑依された神功皇后が海を渡って三韓征伐を行なったのは前述の通りで、住吉神社との絡みがあるんじゃないかと思ったけど、あんまりはっきりしない。
住吉三神に準ずる存在ということか、いちお天照御大神とともに祀られてはいて、訪れた天皇リストにも入ってはいるようなのだけど、壱岐、長門(下関)、摂津の住吉神社が三韓征伐から凱旋した神功皇后が創建したとされているのに比べると、もうちょっと逸話がほしい気がするなあ。
阿波伎原の候補地とされる西区小戸の公園の中にある小戸大神宮。境内には安産石、近くには鎧掛けの松、お膳立ての磯など神功皇后ゆかりのものがあるが、創建は1725年(江戸時代中期)とのことなので、禊祓伝説とも神功皇后伝説とも直接の関わりはないと思われる。
小戸大神宮社殿。名前に反して、何とも小さな小神宮ではないか。
小戸大神宮前の静かな浜。ここが禊祓の舞台?

こちらは姪浜の住吉神社。起源は743年(奈良時代)とのことなので、禊祓の際にカッパがイザナキを案内したとかでカッパが祀られたりはしているが、伝説との直接の関係はなさそう。ちなみに「姪浜」の地名の由来は、神功皇后が三韓征伐からの凱旋で小戸のあたりに上陸したとき濡れた衣服を乾かしたことにちなみ、アクメもとい衵(あこめ=中着)ヶ浜と呼ばれたものが訛ったものと由緒書きにある。
この神社、実は福岡西方沖地震で壊れた鳥居などを修復するために神主さんが『クイズ・ミリオネア』(よくは知らんが「ふぁいなるあんさ?」とか言ってたやつだろ)に出演してパーフェクトを達成したことで話題になったらしい。


まあ、伝説のことはおいといて、博多駅そばの都心部に広大な森をもつ住吉神社の境内を見てみよう。
緑のトンネルの如き参道。

海のそばだった名残か、お清めの砂としてお潮干というのがあった(なんと達筆な!「おしおひ」と読むのか?)。授与所には紙袋に入ったお汐井が売られている。

神門。左右にいらっしゃる弓を携えた方はどなたでしょう?
神門の内側には小さなお神輿が。


本殿はなんと改装工事中で、拝殿の前に臨時の拝殿が設けられていた。
ちなみに本殿は黒田長政が再建したもので、住吉造りという建築様式なんだとか(何をもって「住吉造り」というのかは知らん)。立て札の通り国の重要文化財に指定されているが、写真で見えているのは拝殿である。

ご神木の「一夜松」。年老いた松が傾いて邪魔になったので「ちょん切ろう」と言ったら一夜にしてまっすぐになったという伝説だが、結局その松は枯れてしまい、現在の松はその子孫。しかし、この傾き加減ではまた…。

境内にある三日恵比寿神社。えべっさんといえば福岡では十日恵比寿が有名だが、ここでも正月三日に福みくじなんかが行なわれている。

相撲が盛んな神社で、昨年の九州場所の際も、久しぶりに横綱の土俵入りが奉納されていた(この土俵に入った訳ではないと思うが)


昭和13年に造られた能楽殿。ジャズライヴやファッションショー、トークショー、白石加代子の「百物語」や稲川淳二の「怪談ナイト」など広く門戸を開放していて、それでも神聖な舞台は白足袋履き、客席は椅子席ではなく板張りの床という伝統を守っているのも面白い。
全然関係ないが、以前、別の会場で白石加代子の朗読劇「百物語」に行ったとき(以後ネタバレあり!)、台本のめくり方がおかしいなと思って終演後に「台本は横書きですか? 開きが普通と逆だったみたいですが」と訊いてみたら、「不思議な雰囲気をだすために、わざと逆に綴じてあるんですけど、よく気づきましたねえ。それを指摘されたのは初めてです」と言ってもらったのが自慢である。


住吉神社
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福岡市博多区住吉3-1-51
駐車場:参拝者用あり
http://chikuzen-sumiyoshi.or.jp/

●関連スポット
小戸大神宮
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福岡市西区小戸2-6-1
駐車場:あり(小戸公園駐車場/有料)

姪浜住吉神社
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福岡市西区姪浜3-5-5
駐車場:参拝者用あり
http://sumiyoshijinja.jp/


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