仕事の関係で元寇史跡をまわること度々。
西区今津近辺に3回、長崎県松浦市に4回も行ってきた。
なかでも松浦市鷹島南の伊万里湾は蒙古軍の船団ざっと4千隻がカミカゼを喰らって沈んだところで、近年、海底でその沈没船が見つかって、日本初の水中の国の史跡になってたりする。
しかし、なんつっても海の中の話なんで見に行く訳にもいかず、この史跡をなんとか体感してもらおうと松浦市が捻くり出したのが「AR蒙古襲来〜甦る元寇船〜」。アプリをインストールして、現地松浦の海岸で、定期船の上で、展望所から、スマホやタブレットを伊万里湾に向けると、なんと伊万里湾の上にバーチャル蒙古船団が浮かび上がるのだ!
まずは松浦市本土で、水軍・松浦党の祖・源久が松浦に赴任して上陸した場所といわれる「ぎぎが浜」。 | |
「ぎぎが浜」は鳴き砂の浜で、砂を踏みしめると「ぎぎ」と鳴るそうだけど、水分量などいろいろ条件があるらしい。 この日は雨の後の猛烈な風の日で、波は荒くて浜はゴミだらけ。 風流に「ぎぎ」どころの話じゃなかった。 | |
「ぎぎが浜」の近くにある「海の里食堂」の刺身定食600円。 ごはん、味噌汁おかわり自由、刺身おかわり250円。 |
今福〜志佐の途中の道路公園にある松浦水軍の兜のモニュメント。 真ん中のお札に「八幡大菩薩」とあるけど、単に武神というだけでなく、 聖一国師が宋からの帰りに嵐に遭ったときに八幡神に加護を祈念したというくらいだし、 八幡三神に比売神(宗像三女神)を数えることもあるくらいだから、 海や航海の神といった面もあるんだろうな。 | |
道の駅まつうら「海のふるさと館」のブリ丼500円。 まあ、値段がと。 |
松浦党の祖は松浦郡宇野御厨の荘官として松浦に赴任・土着した源久(みなもとのひさし)だけど、先祖の源聞(何て読む?)という人が肥前の守だったという経緯があって、遥任国司だったとしてもその子孫が土着した可能性はあるだとか、寛仁元(1019)年の刀伊の入寇のときに前肥前介(国司の次官)の源知(とも?しらす?)という人が活躍したとかいう縁があって、久が荘官に指名されたのかもしれない。子孫はさらに志佐だの佐志だの有田だの伊万里だの相浦だの佐世保だのと分かれ、松浦四十八党と呼ばれるようになったのだとか。
元寇では、文永の役では当時の党首・松浦答らが博多防衛に駆り出されて党首不在の地元を蒙古に蹂躙されて、惨敗。
弘安の役では博多湾では石築地(元寇防塁)で上陸を防ぎ、攻めあぐねて志賀島や能古島に再アタックする敵船に小舟で夜襲をかけ、鷹島沖のカミカゼの後は掃討戦で壊滅させるも、鷹島は相当にやられたらしい。
今福〜鷹島の定期船は波が荒くて窓はビショビショ。それでもiPadを海に向けると蒙古軍の船団が現れる! |
こんな風に、風景(窓の水滴もそのまま)の上に 元寇船のCGが重なって表示される。 |
鷹島殿ノ浦港に到着。「元寇ロマン」って言や「ロマン」だろうけど…。 |
鷹島神崎遺跡の海岸でもこんな感じ。 |
キャプチャだとこんな感じ。結構雰囲気出てるじゃん。 ちなみにTOPの画像は神風モード(風景との合成はなくフルCG)。 |
「吉乃や」の「とらふぐと地魚ランチセット (ふぐ唐揚げ、ふぐ雑炊、小鉢×2、デザート付き3000円)。 |
かつて「松浦市立鷹島歴史民俗資料館」だった建物は 「松浦市立埋蔵文化財センターガイダンス施設」にリニューアル。 ちょうど展示物の引っ越し中で、入館料はタダに。 |
2号沈没船の発見状況の原寸大復元模型。海中遺跡を陸上で見せる工夫その1。 |
中碇実物大復元模型 |
大碇と碇石と発掘中のジオラマ。工夫その2。 |
鷹島肥前大橋のだまし絵と水中考古学研究センター所長。 |
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