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雑感録

When I’m sixty-four PART2(94)山椒魚と既出の「は」

またまたKindle Unlimitedで井伏鱒二の『山椒魚・本日休診』をDL。このところ半ば書評ブログみたいになってるけど、今日は「大人の文章スクール&サークル」絡みの話題を少し。

「山椒魚」は井伏鱒二の有名な短編だけど(これが処女作だとは知らなかった。でも「処女作」とか「処女航海」という言葉はすでに死語?)、あまりにも有名な書き出し「山椒魚悲しんだ」。これは漱石の「吾輩猫である」、太宰治の「メロス激怒した」と同じ、既出を表す「」なのです。

」の本来の役割は主題を表します。通常「山椒魚は」と言ったら「これから山椒魚のことを話しますよ」、「吾輩は」と言ったら「これから吾輩のことを話しますよ」、「メロスは」と言ったら「これからメロスのことを話しますよ」と宣言してるので、続く文章に主語を繰り返す必要はありません。

ところが、本来「」が初出を表すので、この「は」と「が」の使い分けがきちんとできてると、こやつ、できるな、と感心してもらえます。

 たとえば、むかしばなし定番の語り出しは「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんいました」と、おじいさんとおばあさんは初めてお話に出てくるので、初出の「」。続いて「おじいさん山に〜、おばあさん川に〜」とお話に出てくるのは2回目なので、既出の「」。 
英語で言うと“There were an old man and an old woman 〜”“The old man went 〜, and the old woman went 〜”とでもなるのかな?(英語はよう知らんけど、これで逆に不定冠詞‘a’と定冠詞‘the’の違いも分かるようになる)。

そこで前述の書き出し「山椒魚は」「吾輩は」「メロスは」は、本来初出なのに既出の「は」で始まるので、印象に残る書き出しになるのです。

 今回はちょっと小難しかったかもしれないけど、こんな感じで「大人の文章スクール&サークル」は進めていくつもりです。



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