利休さんの家来ではないけれど、利休さんの茶道、価値観に感銘を受けたとして知られているのが、利休七哲の一人、武将&茶人、”細川三斎”。
御存知の様に、明智光秀の娘、”たま(後に、ガラシャ夫人)”を妻に迎えています。
その、”細川三斎”が建立したのが、大徳寺の塔頭、「高桐院」です。
16日、同じ大徳寺の塔頭、「玉林院」でお釜がかかり、寄せて頂いた後、いつもはいそいそと帰るのですが、少し時間があり、隣の「高桐院」に足を延ばしました。
丁度帰国して直ぐ、約7年前の冬に、先生&”水蘭会”のメンバ-とお邪魔して以来です。
いつもは、外人観光客も多いと思うのですが、大震災の為か、土曜日と言うのに、人は疎らです。
利休さんのお屋敷を移築した書院、三斎が建立した、二畳台目の茶室”松向軒”が書院に続いてあります。
(書院) (松向軒)
三斎は83歳の高齢でなくなり、お墓が「高桐院」にあります。
墓石にしているのが、利休さんから拝領した、有名な石燈籠。
利休は、秀吉からも、この石燈籠を請われていたのですが、後ろ三分の一を欠き、”差し上げるのは申し訳ない”と、申し出を断り、割腹時に三斎に渡したとの事です。
(欠燈籠を後ろから見る) (手水鉢)
三斎は、参勤交代時も、この石燈籠と、加藤清正から拝領したという、豪壮な袈裟型の手水鉢を持ち歩いたそうです。
玉林院の茶席では、長入作茶碗、”早船”の写しを拝見しました。
織部、氏郷、同席の茶席で、三斎が、利休に「この茶碗は」・・・・・と尋ねたところ、「大阪から早船で取り寄せた」と答えたところから、銘”早船”と付けられたそうです。
茶碗の背景に、お寺の建立の背景に、当時を生きた茶人さんを感じ、一杯のお茶に一層の歴史を感じます。
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