S.E裏千家茶道教室 お茶のひと時

つれづれなるままにパソコンに向かいて
心にうつりゆく茶道教室の話題を書きつくれば。。。。

”茶馬古道の旅”パ-ト②

2010-04-19 11:20:27 | 紅茶、茶道&マナ-のお話
Day(4):3月28日(日)

前日のお茶の飲みすぎで、睡眠不足で少々食欲もナシで、今朝の朝食はパス。

一泊朝食付きといっても、このホテルにはそんな設備も無く、ホテルの近くのロ-カルのお店で麺類を食べるのです。
麺類は殆どス-プの麺ですが、味付けはナシで、お店に並んでいる、日本では見られない様な薬味系を入れて、自分で味を調節します。

この麺には、前日、Kさんも少々食傷気味でしたが、今朝は違うお店で、少し味を濃くして食べ、美味しかったそうです。

 午前8時、ガイドさんと共に、出発。

まず訪れたのは、孟海の「茶葉科学研究所」。

 
                          (茶経を書いた”陸羽”の銅像前で)



此処は、お茶についていろいろ研究しているところで、特に”紫目茶”に力を入れて要る様です。
”紫目茶”は、古茶の事で、コレステロ-ルを下げる効用が多いとの事です。

Day(2)、プ-ア-ルの「中国プ-ア-ル茶研究院」でも試飲したのですが、朝鮮にんじんの様な、何か少々薬草の味がしました。
プ-ア-ルの研究院よりか、こちら、孟海の方が、紫目茶の研究は古く、積み方も一芯一葉で、茶葉も良いそうです。

私は体に良いと言われると、すぐに好きになるタイプですが、そんな意味で、OKでした。
何度も試飲させていただき、体の中がきれいになる気がしました。
只、100g15,000円もするので、購入は。。。。。

 
(紫目茶の木)                      (真さに紫色です)



 (弁護士モトムラ氏似?の先生&代表の方)


 次に訪れたのは、車で約4時間のプ-ラン族の住むプ-ラン山へ。

プ-ラン族とは、シ-サンパンナ暮らす少数民族の一つで、最も早くからお茶の栽培を始めたとされています。
現在では、約8万人が1200メ-トルの山岳地帯に暮らしています。



(春、出産ブ-ムです。大きなお腹の黒豚のお母さん)

 



ここには、昔から”酸茶”と呼ばれるお茶があります。
”酸茶”とは、食べるお茶の事で、炒ったお茶を竹筒にいれ、数ヶ月土中に埋め、発酵させそれを食べるのです。

自然崇拝の民族で、身近に採れるお茶を、おかずの様に食べるのは、生活の知恵でしょうか?
訪れた家の人の話では、今の若い世代の人は食べず、彼らのおばぁちゃんが食べていたそうです。

50歳でおばぁちゃんと言う女性が、私達の為に、作り方のデモンストレ-ションをしてくれました。


①茶葉を熱湯の中に入れる            ②色が変わるまで混ぜる

 ③竹筒に詰め、粘土、椰子の葉で蓋をする   ④数ヵ月後、土の中より取り出す


 


実際、頂いたのは、土の中に数ヶ月埋めていた物です。
少しの酸味と苦味を感じました。

おばぁチャンの時代には、男の煙草と同じで、くちゃくちゃとかみ、楽しんでいたのでしょうか?

他の民族に比べ、プ-ラン族の人々の生活は大変質素で、家の中は生活する最小必要品しか在りません。
戦前以上前の日本の田舎の生活が、時を越えて、そのまま続いているようでした。
お手洗いをお借りしたのですが、想像以上で・・・・kさんは「ウルルンの世界や!!」と叫んでいました。



 その次は私のリクエストで、”竹筒茶”を愛用する、ハニ族の村に行きました。

”竹筒茶”は狩猟、採集を生業にしていた、ハニ族、ラフ族が伝えるお茶です。
ハニ族は現在約25万人で、主に1500メ-トルの山岳地帯に住んでいます。

”竹筒茶”を作ってくれたのは、ハニ族のラトウ氏、45歳。
山から切り出した青竹に水を入れ、沸騰したところで、焼いた茶の葉を入れ、1分くらい煮立て作ります。
出来上がったお茶は、青竹の香りがほんのりとし、香ばしく、ほうじ茶の様な味がしました。

 



それから、もう一つの”竹筒茶”の作り方とは・・

①5分程火であぶった青竹に散茶を詰めこみ、バナナの葉で蓋をし、3,4分火であぶる。 
②とんとんとして、4,5回に分け、散茶を竹筒に一杯になるまで詰める
③最後に5分程火にかけ、棒で3回ほど付く
④出来上がった竹筒茶を10分ほど冷まして、斧で割る

竹から出る水分で茶葉が蒸され、棒で突く事により固められ、お茶が出来るのです。
プ-ア-ル茶の作り方と同じで、何年か置くと発酵が重ねられ、まろやかな美味しいお茶が出来上がるのです。

  

 

ラトウさんは、こうして昔からの方法でお茶を作り、家族用として飲み、又多くできると
売るそうです。
一般には、樹齢300年の古い茶木より作るそうです。

前日行った“巴達”の茶樹王もあることだし、この辺には、こうして自然の古い茶木が多いのでしょう。
自然界からのすばらしい贈り物ですね。

茶馬古道を通り、遠く長安の都、東南アジア、チベットに運ばれるお茶の他に、地元の人々に根付ていたお茶があったのですね。
飲茶の習慣は、はるか太古の昔から・・・・すごいです!!

デモンストレ-ションで使った竹筒を捨てようとするので、私頂きました。
ついでに、その時のお茶も。
世界に一つの、ラトウさんオリジナルのお茶セットです。
何年か先に、円熟味を増したお茶を、旅の思い出と共に頂きましょう。


 その後車で山を下り、南ジュ山の樹齢800年の古茶樹を見学の予定でしたが、雨が降った為霧が濃く、断念しました。

 
(樹齢300年の茶樹)                  (ハニ族の子供達)


  

(茶摘を終わった、若いファミ-リ-と)  (大きい茶葉)
 
 後、今宵の宿がある景洪(ジンホン)に向かいます。

本当にいたるところが茶畑になっています。
まるで、緑に輝くジュ-タンです。
民族衣装を着て、茶摘をする彼女、笑顔がステキです。






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Day(5):3月29日(水)

 午前8時、茶馬古道の出発点になったという、”易武古鎮(イ-ウ-コチン)”へ出発。

”六大茶山”の茶山郡の中心。
シ-サンパンナタイ自治州の東にあります。

明、清の時代、茶の集積、加工地として栄え、茶馬古道の石畳も残っているという”易武”は、どうしても行きたかった町。
高速を走り、2時間半で町に到着。

小さな町で、お店がある通りは新しい家が並ぶ。
古い町並みが取り壊されたとの事で、残念です。

通りを少し入ると、古い家、石畳が残っています。

 

 
    (茶馬古道の石畳)


   (茶馬古道の石畳&古い民家)

明、清の時代、此処、易武は少数民族に支配されており、茶畑があったという。
しかし、1949年、中華人民共和国の設立により、1980年まで易武では、お茶は作られなかったそうです。
そして、古い茶馬古道の石は家を作るため、使われたのだそうです。

山中には、清時代に作られた茶馬古道の跡が、今も30キロにわたり残っているそうですが。。。。。

歴史をかみしめながら歩いていると、突然の雨。
あわてて、なごみの雑誌にも出ていた、「何天能」さんのご自宅へ。

雑誌上で、すでに対面しているので、懐かしい人に会った気分で、思わず私、「何天能さんだ」なんて、小さく叫んでしまいました。

何天能さん、3年前までは自宅でお茶を作っておられたのですが、政府の決まりで自宅では作れず、今は工場で作っておられます。

   
(何天能さん、奥さん&お孫さん)         (茶葉を干している)

  

(水パイプを楽しむ少数民族)       (刺繍に余念のないおばぁちゃま)



雨も止み、何天能さんの車で、何天能さん経営の茶葉工場へと向かいます。
工場はすぐで、さっそくお茶作りの現場を見せてもらいます。

工場といっても、お茶作りは殆ど手作り状態です。
大変物分りの良い私(?)の為に、特別に餅茶の作り方のデモをしてくださいました。
(優しいです!)
釜炒りし、蒸したお茶を布袋に入れ、丸い中国のお金の形をした石で踏みつけ固めます。

暫く乾かし、一袋に7つの餅茶を入れ、その袋を6個づつ作り籠に入れます。
だから、”七子餅”と呼ばれるのです。
一般に餅茶一個が357gなので、合計で15kgになります。
一籠(一箱)ごとだと、税金も安いので、考えられたそうです。



(摘んだ茶葉を分ける少数民族)            (蒸気で蒸しているところ)



(足で踏んで餅茶を作ります)              (6個ごと籠の中へ)



 何天能さんから、お土産にと思い、いろいろお茶を買い、この日の宿がある熱帯植物園へと向かいました。
明日は、4日間お世話になった、プ-ア-ル、シ-サンパンナと別れ、茶馬古道の交易拠点として発展した「大理」へ移動します。


→パ-ト③に続く

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