1989年11月24日付の新聞のテレビ欄を見ていると、「0.45テレサ・テン15周年記念スペシャル」と記されています。
この番組の収録は、前回ご紹介したとおり、10月28日にTBSテレビのスタジオで行われました。
『テレサ・テン メモリアルTV ~今、甦るテレサ・テン~』のDVDには、「テレサ・テン15周年記念スペシャル(1989.11.24)」と記載されています。
11月24日に放送された番組だ、ということを知った私は、仕事の合間に図書館で昔の新聞のテレビ欄を調べてみました。
ところが、テレビ欄を探してみても「テレサ・テン15周年記念スペシャル」の文字が目に入りません。
「あれ?11月24日に番組が放送されたはずだが…。ひょっとしたら、日付を間違えているのかもしれない…」
と思って、11月24日近辺の日付のテレビ欄を見ましたが、見当たりません。
そうこうするうち、仕事の時間が迫ってきてしまい、もやもやした気持ちのまま図書館を後にしたのでした。
その次の日も「テレサ・テン15周年記念スペシャル」のことが気になってしかたありません。またもや仕事の合間に図書館へ行き、テレビ欄を探し続けたのでした。
思い込みというものは怖いものです。
私は「テレサ・テン15周年記念スペシャル」の番組が、ゴールデンタイムで放送されたものとしか思っておりませんでした。
なにせスペシャルと名がつく番組です。当然視聴率が稼げるゴールデンタイムに放送されたはず、と思っていたのでした。
ですから、始めの内はゴールデンタイムのテレビ欄にしか目が向かず、探しているつもりでしたが番組が見当たらず、次に朝から昼間にかけての欄も探しましたが、見当たりませんでした。
「一体どういうことだろう?」
狐につままれた気持ちでしたが、気を取り直し、もう一度11月24日のテレビ欄を冷静に見てみました。
すると、何とテレビ欄の下の方で「0.45テレサ・テン15周年記念スペシャル」の文字が目に飛び込んできました。
「嘘だろう。0.45に放送したのか。それじゃあ11月25日じゃないか!」
少し憤慨しましたが、また気を取り直し、ひとまず番組が見つかったことにホッとしたのもつかの間、この番組が放送された地域が限られていたらしいこともわかりました。
日本全国で販売されている新聞(全国紙)は、北海道、東京、名古屋、大阪、福岡でその地域に合わせた新聞が作られています。つまり地域ごとに記事が異なる場合もあるということです。
東京の新聞のテレビ欄には、確かに「0.45テレサ・テン15周年記念スペシャル」が載っていましたが、他の地域では載っていない新聞もありました。
時間の都合で、これ以上詳しくは調べることができませんでしたが、このような事実を突きつけられた私は、改めて、日本でのテレサの扱いに悲しい思いがしたものでした。
この番組が台湾や香港で放送されていたらどうでしょう。きっとゴールデンタイムの目玉番組になり、視聴率もかなり稼げたのではないでしょうか。
折角のテレサのスペシャル番組も、日本では悲しいかな地域限定で深夜0.45に放送されてしまうのでした。
さて、話は変わりますが、この番組が収録された10月28日、番組収録後にテレサは、作曲家の三木たかしさんたちと食事をしています。
その時の様子が、『私の家は山の向こう』有田芳生著に載っていますので、少しご紹介します。
【収録を終えたテレサは三木たかしたちと六本木で食事をした。ここで天安門事件が話題となった。
テレサは切実な顔つきで言った。「歌で中国人の心を一つにしたいのです」
三木は「歌で革命を起こすのは難しいよ。生命をかけなきゃ世界は変わらないから」と軽い気持ちで答えた。
その発言をテレサはじっと聞いていた。】
『私の家は山の向こう』第四章 悲しい自由 P178より
三木たかしさんは、後でこの時の発言をすごく後悔したと述べられています。テレサが生まれ育った環境をもっと理解して発言すればよかった、というような内容のことを言われています。
テレサのお父さんは、蒋介石率いる国民党軍の元軍人で、家族で国民党軍と共に台湾へとやってきた経緯があります。
つまりテレサが生まれ育ったのは台湾ですが、ご両親の故郷は中国大陸なのです。
だからこそ、チャイニーズの心が一つになることを彼女はずっと夢に描いていたのでしょう。
日本という国は、世界的に見ても大変珍しい、とても永い期間、様々な時代にわたり続いてきている国です。
そのような日本に生まれた私たちには、テレサが抱いていたような想いは簡単には理解できるものではなかったのかもしれません。
それと同時に考えさせられるのは、「歌で世界は変えられるのか?」という問題です。
中国という国は、様々な面で自由が規制されているので、政治的な内容の本などは、決して自由に出版できないでしょう。
テレサの歌も、「精神汚染一層キャンペーン」で中国では聴くことさえ許されなかった時期がありました。
そんな時期でさえ、テレサの歌はひそやかにテープがコピーされ、こっそりと中国の民衆の間で聴き続けられていたのです。
この事実は何を示しているのでしょうか。
歌は思想を超える面がある、ということではないかと私には思えるのです。
思想では決して中国の民衆に訴えることはできないが、歌であればまたたく間に民衆の心をつかみ、広く浸透してゆくことができるということです。
そして、テレサの歌を聴いた民衆の心は癒やされ、穏やかな日常生活へと導かれることになります。
テレサの歌を聴いて「癒やされる」という話は、よく聞きます。
テレサは、歌を通して、多くの人々を癒やしたいと願っていました。
彼女のその願いは、なかば実現していると思います。
あとは、「自由と民主主義が守られる一つの中国」がこの地上に生まれたら、テレサの願いは全て実現することになると思います。
そんな日が来ることを願いながら、アジアの歌姫と呼ばれたテレサは、今も雲の上からこの地上を見守っているのではないでしょうか。
※参考資料
・有田芳生著『私の家は山の向こう』文芸春秋刊
・平野久美子著『テレサ・テンが見た夢』筑摩書房刊