本日5月8日は、テレサ・テンさんの命日です。
1995年にタイのチェンマイで亡くなられてから、27年という歳月が流れました。
それだけの時が流れても、今なお、テレサ・テンさんの歌はカラオケで歌い続けられ、若い世代へと歌い継がれています。
月刊『カラオケファン』2019年9月号に関連した記事が載っていますので、少しご紹介します。
【新時代に入っても“アジアの歌姫”テレサ・テンの歌は親しまれ、歌謡番組で特集される。日本音楽著作権協会が平成の31年間を総括した「著作権使用料分配額トップ100」では美空ひばり、サザンオールスターズ、SMAPが最多タイの3曲だったが、テレサが歌った2曲もランクインした。「時の流れに身をまかせ」が18位、「つぐない」が41位だった。】…月刊『カラオケファン』2019年9月号 日本の父・舟木稔が語る「テレサ・テンの軌跡」より
日本で、長い期間第一線で活動された美空ひばりさん、サザンオールスターズ、SMAPであっても3曲がトップ100に入っているだけです。
日本人ではないテレサが日本で活動した期間は限られていますし、日本でシングルとしてリリースしたオリジナル曲も二十数曲です。その中で2曲も平成の時代のトップ100に入っているのは、すごい高確率と言えるのではないでしょうか。
また、月刊『カラオケファン』2019年9月号には、テレサの日本の父こと舟木稔さんの言葉もありますので、少しご紹介します。
【月日のたつのは早いですね。でも、テレサは年月がたてばたつほど、忘れられない大きな存在になっています。彼女は台湾の人を筆頭に華人全体から評価されています。華人の方々の情熱はものすごく、あらためてすごい歌手だったんだなという気持ちになりました。中国本土と台湾政府の間での政治的な問題に影響されたこともあり、亡くなってからさらに評価されたような気がします。】…月刊『カラオケファン』2019年9月号 日本の父・舟木稔が語る「テレサ・テンの軌跡」より
華人の方々の間でのテレサ・テンさんの評価の高さには、本当に驚かされますが、彼女が中国語で歌っている曲や、最高傑作である『淡淡幽情』と名付けられたアルバムを聴いてみると、彼女がそれだけ評価される理由の一端を垣間見ることができると思います。
「亡くなってからさらに評価されたような気がします。」と舟木さんは語られていますが、本当にそう思います。
私も、テレサ・テンさんのことを調べるようになってから、はじめて彼女の素晴らしさに気づいたことが多くあり過ぎます。なぜ彼女が生きている間に、その中のほんの少しでも気づかなかったのかと、後悔しきりです。
そのつぐないのためにも、最近私が感動したテレサ・テンさんのある逸話をご紹介しましょう。
かれこれ40年近く前の話ですが、テレサ・テンさんは、1983年にデビュー15周年記念コンサートツアーを開始しました。
まずは香港コロシアムで6日間連続のコンサートを行い、観客動員数、費用総額、チケット完売スピードなど香港史上の記録をすべて更新したのでした。
その華人社会でのトップスターであるテレサ・テン(鄧麗君)さんが、台湾の国境警備の任に就いている軍人を訪ねていった時の話です。
金門島の近くの小さな島で警備にあたっている軍人のために、テレサは船で島へと向かいます。
島へ着いたテレサは、軍人一人一人を訪ねてゆき、たった一人の軍人のために歌い始めます。
「国民的大スターであるテレサ・テン(鄧麗君)さんが、わざわざ辺境の地までやって来て、私一人のために目の前で歌ってくれている」
その夢のような現実を前に、感激した警備にあたっている軍人は、歌を聴きながら感動の涙を流した、という話です。
テレサ・テンさんは、香港で観客動員数などあらゆる記録を更新した、世界中にファンが10億人いるとも15億人いるともいわれるような大歌手です。そのようなスーパースターでありながら、たった一人の軍人のために、辺境の地まで赴き、まごころを込めて歌うことのできる人だったのです。
もし、目の前にテレサ・テンさんが来て、自分一人のために、まごころを込めて歌ってくれたとしたら、とても感激せずにはいられないでしょう。
その一人一人の人間を大切にする、テレサ・テンさんのやさしさ、まごころは、彼女が亡くなってから27年を経た今でも、私たちの心に響き、感動を与え続けてくれます。
きっと今でもテレサ・テンさんは、一人一人のファンの皆さんを天国から暖かく見守ってくれているに違いありません。
※参考資料
・月刊『カラオケファン』2019年9月号 株式会社ミューズ発行
・平野久美子著『テレサ・テンが見た夢』筑摩書房刊