要は、長期間いることを前提にされていない者、という意味のはずなのだ。そう思っていたら、江戸時代の臨済宗の学僧・無著道忠禅師が、以下のような記載をしていた。
忠曰く、暫くの時、某寺に到る。当に久しからずして、而も去るべし。故に暫到僧と曰う。
『禅林象器箋』巻6「第六類 稱呼門」「暫到」項
ここに、「久からずして、去る」とある通り、「暫到」というのは、その叢林に長居することを前提にされていない者のはずなのだ。いや、実はこの用語、宗門では最も早い用例としては、太祖・瑩山紹瑾禅師(1264~1325)の御著作に見えるのだが、拙僧はその御教示を拝したときに、特別扱いされていると思ったのだ。
西廊の上み自り僧堂に入り、聖僧前に焼香して、大展三拝す。維那引いて巡堂一匝せしめ了りて主人の位に著く。両班・大勤旧、進前して両展三拝。内堂・外堂・暫到、皆同じく両展三拝す。
『洞谷記』「新住持入院」項
これは、新たな住持が曹洞宗寺院(具体的には永光寺ということになると思うが)に入るときの作法で、まず山門法語を唱えた新命は直ちに僧堂に進み、そこで堂頭位に就くのである。すると、上記のように両班などが新命の前に進んできて、挨拶をするのだが、その時同時に、僧堂の内外にいる者も、暫到も同じく礼拝することが記されているのである。
それで、例えば、「暫到」というのが、明らかに修行僧の一部に入っているのであれば、「内堂・外堂」に含まれて良いはずだ。だが、上記内容はそうなってはおらず、明らかにそれらの者とは一線を画した位置付けになっている。
瑩山禅師が記された儀礼について考えを巡らすと、これは新しい住持が寺に到着する行持である。そうなると、寺に常駐している者は当然だが、そうではなくて、一時的に居た者も、併せてお迎えをしなくてはならない、という話になっているのだと思われる。そう考えると、ここで「暫到」を用いたのは、結局、当時の寺院(今でも、大きな本山級寺院の場合は同様だと思うが)というのは、各地の往来の僧が、しばしば尋ねてくるものであり、そのため、その者についても配慮する必要があったということになろう。
それから、ここが今回の記事で述べたいものであったが、結局「暫到」については「一時的な滞在」をいう言葉なのだから、修行に入ってきたばかりの「暫到」を「暫到」と呼んだというのは、いつ帰るか分からないという意味を含んでいたはずだ。その意味では、修行に来た側、受け入れる側、双方にとって「お試し期間」だといえる。
その意味では、定着出来ずに帰ってしまう者がいることについて、双方とも始めから納得しておくべきなのだろう。まぁ、それこそ、山門頭で「尊公何しに来た?」と問われ、「いえ、間違えました」と帰っても、「暫到」なんだから仕方ない・・・いや、この場合はまだ暫到に入っていないか。だからその、「旦過寮」はまだお客さんなので、そこから帰ってしまっても、仕方ないというべきか?!
理屈の上では、上記のようなことを思ったのであった。
#仏教
最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2016年
人気記事