つらつら日暮らし

曹洞宗に於ける『遺教経』の学び(3)

洞門学僧による或る法語で、『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』を用いた例があったため、学んでみたい。

凡仏道を修行するには、持戒を第一の根本とするなり、戒を持つときは、おのづから心が清浄になるゆゑ、禅定も智慧も、自然とこの内より出るゆゑ、持戒と礎となし、禅定を屋宅となして、よく智慧の造作をなすと、梵網経にも仰せられ、又遺教経にも、わが涅槃の後は、まさに戒法を尊重とたふとみ、珍敬とうやまひ奉るべし、たとへば暗夜に松炬挑灯をもつがごとく、又貧しきものの、財宝を得るがごとし、此ゆゑに戒法さへあれば、末世の大導師といふものにて、如来の世にましますと同じ事なり、
    寂室堅光禅師『菩薩戒童蒙談抄


ということで、江戸時代末期の学僧・寂室堅光禅師(1753~1830)の教えを見ていきたい。これは、曹洞宗で相伝してきた仏祖正伝菩薩戒(十六条戒)について詳しく提唱された法語であり、滋賀県彦根市の清凉寺の住持であった時に示された。そういえば、拙僧の手元には、版本とは明らかに字句の用い方が違っている写本があるのだが、あれは草案本の一系統だろうか?

いや、せっかく持っているんだから研究すれば良いのだろうけれど。

話を戻して、以上の教えは持戒の大切さを示したものである。それで、持戒の功徳は「心が清浄になる」としており、その清浄なる心の上に、禅定も智慧も出てくるという。よって、持戒を礎とし、禅定は屋宅として更に修行が進み、智慧の造作が出てくるという。

寂室禅師はそれを、『梵網経』にも言われているとするが、いわゆる「菩薩戒序」のことである。

戒を妙楼観と為し、諸三昧に遊戯す。持戒を平地と為し、禅定を屋宅と為し、能く智慧の光を生じ、次第に明照を得る。
    『梵網経心地品菩薩戒義疏発隠』巻1


それで、ここで寂室禅師が参照されている『遺教経』は、以下の通りである。

汝等比丘、我が滅後に於いて、当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れ則ち是れ汝が大師なり。若し我れ住世すとも此に異なること無きなり。
    「序分」


この一節を言い換えられたのが、先ほどの法語ということになる。とても分かりやすい。『遺教経』の戒に対する教えは、いわゆる戒(波羅提木叉)の意義に始まり、基本的な持戒を説くため、以上のような用い方が妥当だったのだと思われる。

仏教 - ブログ村ハッシュタグ#仏教
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事