この連載では、『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見てきたが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見てみた。なお、連載途中で『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)が入手出来たため、それも参照した。
さて、全27条を見てみて感じたことは、部分的には仏教の戒律(比丘戒)を想定している場合もあるが、当時の朝廷が必要とした規則なども併存していた場合もあった。そこで、その辺を総体的(雑考的かも)に考え、この連載を終えておきたい。
この記事の前提としては、当令の全体が日本で独自に作られたわけではなく、ほとんどは、中国唐代の『道僧格』という、道教・仏教への統制の条文を下敷きに、編まれていることである。無論、日本では、組織だっての道教の展開が存在しないので、その部分は脱色しつつ仏教中心の『僧尼令』とはなっている。ただ、前提として、そういった先行する文脈があったことだけは、しっかりと理解しておきたい。
そこで、当方でとにかく強い興味を持ったのは、「第一条・観玄象条」「第二条・卜相吉凶条」などに顕著ではあるのだが、仏教に於ける禁止事項と、朝廷から見て民衆統制に問題があると思われる行為とを融合させ、そして禁止していることである。
第一条・凡そ僧尼、上づかた玄象を観、仮つて災祥を説き、語国家に及び、百姓を妖惑し、并せて兵書を習ひ読み、人を殺し、姧盗し、及び詐りて聖道得たりと称せらば、並に法律に依りて、官司に付けて、罪科せよ。
第二条・凡そ僧尼、吉凶を卜ひ相り、及び小道、巫術して病療せらば、皆還俗。其れ仏法に依りて、咒を持して疾を救はむは、禁むる限に在らず。
ともに『日本思想大系3』216頁を参照して訓読
まず、気象天文などを見て占いをし、災祥を語るというのは、そもそも仏教でも禁止されていることであった。禁止の理由は様々だが、権力への無闇な接近を排除し、また、どこまでも仏道修行を重視しているので、世俗の災祥を図るのは、お門違いでもあるといえる。また、僧侶の占いの結果、国家そのものの存亡にも関わる可能性があるし、特に「天」との関わりで語られる文脈は、本来、発する役割として天皇こそが担うべきと認識されていた可能性もある。よって、そのように当時の社会のあり方と、仏教界との関係をまず見ていくべきであるといえる。
ただし、良く言われる「年分度者」などは、『僧尼令』に関係項目が載ることはなく、結果として、仏教界への統制は、「律令」はともかくも、他に、「勅」なども機能していたわけである。
また、「第十四条・任僧綱条」では、各寺院、或いは仏教界全体の統制者としての僧官を配置しているのだけれども、これが、果たして仏教界の自主独立を認めるためのものだったのか、それとも、朝廷の統制下に置くものだったのかで、判断は分かれる気がする。
凡そ僧綱に任ずることは〈謂わく、律師以上〉、必ず徳行ありて、能く徒衆を伏し、道俗欽み仰ぎて、法務に綱維たらん者を用いるべし。挙す所の徒衆、皆連署して官に牒せよ。
若し阿党朋扇して、浪りに無徳の者を挙すること有れば、百日苦使。
一任の以後、輙く換えることを得ざれ。若し過罰有らん、及び老い病して任えざるは、即ち上法に依りて簡び換えよ。
『日本思想大系3』220頁を参照して訓読
この条文自体を鵜呑みにすれば、徳望の高い、有為の人材を僧官に充てていたわけで、独立を認めていたようにも思うが、実態を見てみると、結局は朝廷からのお目付け役となるべき者が選ばれた印象もある。
それから、国家の統制への挑戦をさせない意味で、「第五条・非寺院条」もまた興味深い。現代ではむしろ、寺院に於ける公益性などが議論されて久しい印象ではあるが、本来、国家はそれを禁止していた。
凡そ僧尼、寺院に在るに非ずして、別に道場を立て、衆を聚めて教化し、并せて妄りに罪福を説き、及び長宿を殴り撃てば、皆な還俗。国郡の官司、知りて禁止せざれば、律に依りて罪を科す。
其れ乞食する者有らば、三綱連署して、国郡司に経れよ。精進練行なりといふことを勘へ知りなば、判じて許せ。京内は仍りて玄蕃に経れて知らしめよ。並に午より以前に、鉢を捧げて告げ乞ふべし。此に因りて更に余の物乞ふこと得ざれ。
『日本思想大系3』217頁を参照して訓読
このように、僧尼は基本、寺院の中にいるべきであって、外に出て布教することは認められていなかった。ただし「乞食(日本では托鉢と呼ばれることが一般的)」だけは、許可制で認められていた。こういう一節を見てしまうと、仏教が常に、民衆のことを考え、その救済を目指して行動した、というのは、歴史的な根拠を持たないことだと感じてしまう。
以上のことも、『僧尼令』を学んだ結果である。
また、今後も機会があれば、仏教に関する法令などを見ていきたいと思うのだが、とりあえず次回からは、明治時代の或る学僧による研究結果を学んでいきたいと思っている。また、楽しみにしていただければ幸いである。
【参考資料】
・井上・関・土田・青木各氏校注『日本思想大系3 律令』岩波書店・1976年
・『令義解』巻2・塙保己一校(全10巻)寛政12年(1800)本
・釈雲照補注『僧尼令』森江佐七・1882年
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