仏、天下に教えを授けて人民を度脱す。因みに二月十五日を以て、泥洹し、去る。其の経・戒、続存す。履んで能く之を行じて、亦た無為を得る。
福は後世に流れ、五戒を持する者、一月に六斎す。斎の日、一意に専心して、悔過して自から新たなり。
沙門、二百五十戒を持し、日日に斎す。其の戒、優婆塞の得聞する所に非ず。威儀・進止、古の典礼と異なること無く、終日竟夜に道を講じ経を誦し、世事に預からず。
僧祐『弘明集』巻1
簡単に訳してみよう。仏が天下(地上のこと)の衆生に教えを授け、苦悩から度脱させた。しかし、二月十五日に涅槃に入り、この世から去ってしまった。ただし、その経(教え)と戒(律)が遺された。よって、その二つを履践して、とらわれの無い境涯を得るべきだという。
それから、それらの持戒による功徳としての福は、後世にまで受け継がれ、五戒を持つ者は、1ヶ月で6回斎日を設け、その日は1日悔過して、自ずと新たになるという。それまでの罪が消滅するためであろう。
一方で、沙門(比丘)は二百五十戒を持ち、毎日が斎日である。よって、この戒は優婆塞が聞いたようなものではなく、毎日の生活や儀礼は、釈尊の時代と変えることなく、ひたすら仏道を講義し、経典を読み、世間のことに関わることは無いとしている。
そこで、この記事から分かることは、仏陀が遺したのは、経・戒であることになる。余りに基本的なことではあるが、仏陀が入滅された後、遺弟達が仏典結集を行った時、集めた教えが経蔵と律蔵になった。それを端的に示すと、以上の教えになるといえる。
ところで、何故仏陀はこれらを遺したのだろうか?或いは、遺された弟子達が、これらを遺す意義を、どう見出したのだろうか?それはやはり、仏陀入滅後の僧団の維持だったのだろうか。
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