つらつら日暮らし

弟子に気に入られやすいダメな指導者

江戸時代の洞門学僧・面山瑞方禅師(1683~1769)が、このような批判を行っている。

是れに臆病なる僧が、職務し住持すれば、常に衆に謗ぜられじと用心して、典座・菜頭も衆の機に合うを専らとし、常住を費やして、後の事管せず。後まで畜儲物も、我が職の内にみな払底して護惜せず。住持も、無道心の大衆が我が侭云うに随わざりしを制すれば、悪作を以って会下を悩乱するゆえに、恐れて衆の機嫌とるにかかりて、一会の結制に、住持は一言も出さず。解制しては、太息をつく。悲しき末世の弊風なり。
    『洞上僧堂清規行法鈔』第5巻「僧堂新到須知」


これは、当時の修行道場の様子を示したものである。当時の修行道場は、一定数の修行者(安居僧)を集めなければならず、そのために涙ぐましい努力がされた。それはつまり、修行僧に批判されないように臆病になってしまう堂頭(住持)がいたというのである。更に、典座(料理をする僧侶)・菜頭(食材を調達する僧侶)なども、修行僧の好みに合わせようとしてしまい、そのお寺に保管されている様々な物品を使ってしまうということがあった。

このお寺に保管されている物品については、「常住」という言葉で表現される通りで、そのお寺に常になくてはならないとされ、使ったのであれば、使っただけを戻す、転じて言えば、入ってくる量しか使わないという努力が求められる。しかし、修行僧の好みに合わせるような上役が出てくると、この常住を使い切ってでもそれをしようというような者が出てくる。何故ならば、食事などが贅沢になってしまうためである。

なお、上記の問題は、修行僧・上役、双方の問題である。特に問われているのは「道心(志)」である。

修行僧からすれば、古来より修行を行う場合には、名聞利養をしてはならないといわれている。そうであれば、上役の好みを持ち込んだり、食事の多寡などを問題視するようなことがあってはならない。だが、ついついそうしてしまう。

上役の者も、全員がかの葉県帰省禅師(中国臨済宗、生没年不詳だが10~11世紀の人)のようになれば良いとはいわないが、その気概くらいは持たねばならない。この帰省禅師は、来る修行僧には冬であろうとお構いなしに、必ず冷水を浴びせ、追い払ったという。無論、それくらいのことをするから名前が残った、転ずれば、それくらい奇特な人であったということになるだろうが、道元禅師などはその道業を讃歎されるように、やはり禅僧として目指すべき存在であるといえる。

だが、修行僧達に来て欲しいが故に、ついつい諂ってしまうのである。それは指導者として如何なものかと、面山禅師は問題提起されたのである。

当時はお寺の管理が法令化・官僚化(つまりは、画一化・硬直化していた)しており、修行僧が集まらなかった、ということが大きな問題とされた。そのため、修行僧に気を遣う上役が出てきたといえるわけだが、その結果が修行僧の無道心を増長させたというのであれば、本末転倒だ。

そして、この話は、江戸時代中期(18世紀中頃)の話である。その後、幕末に至ると僧侶の堕落が、特に国学系統の者達によって喧伝されることになるけれども、国学の連中の言うことは、全てが本当だとは言えないのだが、あたらずも遠からずという事例があったことだけは認めねばなるまい。それは、上記のような仏教界側からの告発などを通して知ることが可能である。

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