それで、以前の記事では奈良時代の制定された僧侶への位階である【四位十三階】を論じたのだが、詳細を『緇門正儀』で載せている内容から検討してみたい。
一 権僧正
貞観七年九月五日癸未、勅して薬師寺の僧一演を以て権僧正と為す〈三代巻十一〉
一 僧正〈三位相当〉
推古帝三十二年四月壬戌、観勒僧を以て僧正と為す〈紀〉
天武天皇十二年已に出づ
斉衡三年十月戊子、権大僧都伝灯大法師位、真済僧正と為る〈文徳紀巻八〉
一 大僧正
天平十七年正月已卯詔して行基法師を以て大僧正と為す
『緇門正儀』15丁表~裏
さて、今度は「僧正」である。そして、僧正には「権僧正」「僧正」「大僧正」と3種類があって、それぞれに定められた時期や人物を挙げている記事だといえる。
気になるのは、「僧正」だが、ここだけ時代的にかなり早い。理由は、推古天皇の時代、僧侶による親族への殺人事件が起きたためとされている。まさか、僧侶がそのような大罪を起こすとは思っていなかった天皇はかなり危機感を覚え、取り締まりなどを行おうと思ったようなのだが、日本に於ける戒律実践の未熟さを百済から来ていた観勒に指摘され、そこで、観勒を僧正にすることで、仏教界の綱紀粛正を図ろうとしたらしい。
それから、「権僧正」だが、鎌倉時代初期の一件で、思い出す文章がある。
明庵千光禅師前権僧正法印大和尚位忌辰の上堂……
『永平広録』巻6-441上堂
これは、道元禅師が師翁(仏法相承の系譜上で祖父の位置付けになる祖師)である明庵栄西禅師について、追悼の上堂を行った時の、栄西禅師の呼称である。このように、道号・禅師号・僧官名を挙げて呼ばれたのであった。なお、既に「法印」の記事は【「第一官律名義弁」其二十七(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・27)】で書いたので、それをご覧いただきたい。
「大僧正」については、それこそ百人一首に出てくるお坊さんなどにも見られるが、個人的に書きたいことが無いので、記事はこの程度くらいになってしまう・・・
【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年
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