余、謂うに、睦菴、誤りて臘人氷を正して、蠟を以て蠟と改むる者の得るに似たり、然而、若しくは臘に長幼有り、行に染浄有り、則ち豈に一概に臘人を以て之を氷と謂い得んや、
其の説、亦た何の経律自り得るや、頗る蠟を以て臘を改める義を資けるの臆談なり。
更に、増輝記の臘、交接の義と為すに沿うは爾らず。
実を以て之を謂えば、則ち、
一夏、遊行せざるを坐夏と曰う、
一冬、遊行せざるを坐臘と謂う、
若しくは解夏の日を采り、唯一日のみを以て、之を臘と為すや、豈に坐臘と曰うべきや。
冬安居を知らざる故の野楮最も多し、
『面山広録』巻24「冬安居辯」、原典に従いつつ訓読
以上は、前回の記事で採り上げた内容について、面山瑞方禅師が私見を述べた箇所である。内容としては、「臘」の字を検討しており、まずは「臘人氷」を批判した。理由は、経典や律典に典拠が無いことを挙げている。それから、「増輝記」とは中国唐代に編まれた律宗の文献だが、ここで引用されているのは、『釈氏要覧』巻3「夏臘」項のことである。そして、『釈氏要覧』同様に、臘を「交接の義」だとする見解を批判している。
そこで、面山禅師の見解だが、「一夏、遊行せざるを坐夏と曰う、一冬、遊行せざるを坐臘と謂う」としている。つまり、「坐夏」と「坐臘」という言葉があるが、それを夏と冬の各安居に割り振れるとしたのである。ただ、冬安居が無くなってしまったので、「坐臘」も夏安居に当て嵌める場合があったが、それには無理があるとしているのである。
詳細は、次回の記事で申し上げたい。
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