つらつら日暮らし

面山瑞方禅師「冬安居辯」参究⑬

冬安居結制に伴う面山瑞方禅師「冬安居辯」を参究する不定期短期連載記事である。

 夏安居、則ち歳を逾えず、
 故に以て、唯だ夏を称して、而も旨全うす、
 冬安居、則ち歳を逾ゆ、
 故に以て、冬と言わず、而も臘と曰い、或いは歳と曰う、臘の義尽くせり、豈に明白ならざるや、
 余、今、此の辯を作し、但だ四分律宗千歳の惑を解くのみに非ず、兼ねて禅林の古来迂闊の談を闢す、
 更に日本洞上、現今行ずる所の冬夏安居の仏制を証拠するなり、
 伏して冀わくは、有識賞鑑せよ、
    『面山広録』巻24「冬安居辯」、原典に従いつつ訓読


これは、夏安居のことを、例えば「坐夏」などという場合、「夏」だけで意味は全うするが、冬安居の場合を例えば「坐臘」というとき、冬安居の時には歳を越えるため、「臘」或いは「歳」と表記すべきであって、その際には、「臘」の意義が尽くされているという。昨日の記事で申し上げた通り、面山禅師は「臘」は「獵」の意味に通じると考えている。

それで、面山禅師はこの「冬安居辯」を記した理由について考えているが、まず、四分律宗の1000年に及ぶ惑いを解くだけではなく、禅宗でも迂闊の談が見られたので、それを批判する目的があったという。

繰り返しになるが、四分律宗については青丘太賢『梵網経古迹記』への批判を目論んでいたわけである。太賢の生没年は不詳だが、8世紀の僧だったとされるため、18世紀を主たる活動時期とされた面山禅師からすれば、ちょうど1000年前の人になる。

禅宗については、「臘人氷」などがそれに当たる。なお、その意義について、拙僧自身まだ十分に理解出来ているとは思えないので、もしかしたら別の文献を用いて続編を書くかもしれない。ただし、「冬安居辯」については今日までである。

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